戦国時代、この地を支配した秦は漢江の上流域に漢中郡を置いた(「?中」は河川流域の盆地をいう命名法)。秦が滅ぼされると、咸陽攻略の功労者劉邦が漢中・巴・蜀の地に王として封ぜられ、漢王(「漢中王」の意)を名乗った。 「漢土」の語は、古写経本や僧侶の書簡などにみえ、これよりかつての日本では中国の地を指す名詞として用いられていたとされる。同様な言葉に「秦」「唐(もろこし)」がある。(南北朝期からモンゴル時代にかけて、華北(黄河流域)と華中(長江流域)を区別し、前者のみをさす用法もあった)
漢王朝に由来する諸名称
中国の地を意味する「漢」
民族名・文化名としての「漢」などの特定文化をさす「漢」は漢王朝の名に由来している。(漢王朝の時代に古代中国文化が完成したため、崇拝をこめて漢王朝が回顧されることが中国では一般的である)(南北朝期からモンゴル時代にかけて、華北(黄河流域)住民と華中(長江流域)住民を区別し、前者のみをさす用法もあった)
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 西方の世界へは「秦」の名が伝わり用いられた。
出典^ Taagepera, Rein (1979). “Size and Duration of Empires: Growth-Decline Curves, 600 B.C. to 600 A.D.”. Social Science History 3 (3/4): 115?138. doi:10.1017/S014555320002294X
典拠管理データベース: 国立図書館
ドイツ
⇒イスラエル
アメリカ