漢族
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漢族は周辺の異民族の中国征服王朝の支配を受け、混血され形成された民族概念である[11]。ゆえに、異民族の出身であっても漢族の文化伝統を受け入れれば、漢族とみなされる。[要出典]4世紀頃から北方の鮮卑などの北方遊牧民族華北平原を支配され(→五胡十六国時代)、この結果、中原に居住していた漢民族部は南方に移動(→客家)した。また、のちのや或いは後金やその後身のなどといった征服王朝期によって漢民族は非支配層に転落した。辛亥革命以前の中国(清)で、中国人口の80%は苗字も持たず、支配者である満州族と被支配民族である漢族のいずれの族にも含まれなかった平民だった。辛亥革命以後、孫文は日本を訪問し、日本の近代化による発展を見て中国を近代化しようとした。 辛亥革命以後、苗字がなかった大多数の中国人が苗字を持てるようにし、皆漢族に編入された。 それで現在、漢族が人口の大部分を成している[12]
漢民族の民系及び方言

北方民系
長江以北に広く分布し、北方官話を母語とする。

晋綏民系: 山西省陝西省北部、内蒙古西部等に分布し、晋語を母語とする。

呉越民系江蘇省南部、上海市浙江省安徽省南部及び江西省北東部に分布し、呉語を母語とする。

広府民系:広東省広西省海南省香港及びマカオに分布し、粤語を母語とする。

?海民系福建省、広東省、海南省、浙江省の一部に分布し、?語を母語とする。

湖湘民系:湖南省広西チワン族自治区の一部に分布し、湘語を母語とする。

??民系:江西省、湖南省東部、湖北省南東部、安徽省南西部及び福建省の北西部に分布し、?語を母語とする。

客家民系:広東省東部、福建省西部、江西省南部、湖南省東南部、台湾西部及び四川省の一部に分布し、客家語を母語とする。

巴蜀民系:四川省、重慶市などに分布していたが、度重なる大戦乱により絶滅。以降は湖広人の末裔が移り住み、西南官話を母語とする。

異民族の拡張と異民族による漢民族の支配

北魏の鮮卑族の拓跋氏によって中国北部が征服され北魏以降からは漢民族は被支配民族へと転落した。五胡十六国時代から始まった異民族の大移動と拡張によって、征服された漢民族は抵抗をやめ異民族に忠誠を誓うか華南に逃げるかの選択肢に迫られた。五胡十六国時代には異民族による漢民族男性の虐殺も頻繁にあった。鮮卑族の支配層が建国した隋と唐に非支配層であった漢民族は登用される場合はあった。以降、女真族と契丹族が中国を征服し、漢民族を支配した。異民族の奴隷になった漢民族は多く、異民族に忠誠を誓った漢民族は登用されたまた蒙古族が漢民族を征服し元を建国して、最後は満州族(女真族)が漢民族最後の王朝である明朝を滅ぼし数百年の間、漢民族を支配した。異民族の支配によって華北と華南の漢民族の遺伝子には非常に大きい違いが見られる。満州族と異民族の支配によって現在の漢民族は混血化されている。[13]
19世紀以降の漢民族

ところが、清代中期以降状況が大きく変化する。領域内の平穏と安定した経済、トウモロコシやサツマイモ等の新たな農業作物によって増え続けていた人口だったが(18世紀前半には推定2億人だった人口はわずか100年後の19世紀前半にはその2倍、推定4億人を突破したとされる)、イギリスなどの政策転換によるの流入の減少(阿片戦争参照)、18世紀後半以降の全地球単位の寒冷化(異説もある)に伴う生産力の低下、さらに、太平天国の乱などの清末の一連の反乱により支えきれなくなった。ついに、19世紀後半には人口爆発とも呼べる事態が発生、大量の漢民族の周辺地域への拡散移動が始まった。

河北山東など華北の人口は内モンゴル満州へ移動し、華南の人口は東南アジア各地を中心に、一部は日本朝鮮、さらにはアメリカオーストラリアなどに移住した。このうち、満州(現在の中国東北部)は中国内地との隣接区域であり、圧倒的な漢民族の人口圧によって事実上内地化した。例外的に、地理的に中国本土と最も地理的・文化的に近接しているはずの韓国チャイナタウンについては、20世紀半ばから後半期にかけて衰退し、ついには消滅してしまった。理由として、朴正煕時代などの強い民族主義・反共主義政策などが挙げられるが、極めて特異な例として注目される。
東南アジアの華人

東南アジアなどでは華僑・華人となり、自らの居住区として各地にチャイナタウンを作り上げている。シンガポールでは華人が最多数派である。マレーシアインドネシアでは、かつて経済の主導権を握っており、そのため現地で多数派を占めるマレー人など在来民族との摩擦があった。

タイの華人はタイ人に同化する傾向が強く、また、タイ人の中にも中国由来の文化が取り入れられ、経済的にも政治的にも完全にタイ人と一体化している。政府の要職を占める華人も少なくない。

フィリピンでも華人はフィリピン人に同化する傾向にある。明・清時代からの古い華人が多く、現地化や混血が進んでいる。現在でも中国語を話し、中国の習慣を残している者は60万人から100万人程度と推定される。コラソン・アキノロドリゴ・ドゥテルテなど、大統領経験者にも華人の血が流れている。

ミャンマー(ビルマ)では、おもに国共内戦期以降のKMT残党の逃避行に始まる雲南省からの華人の流入が今でも続いている一方で、前近代から移住してきた土着の華人のグループもある。彼らはミャンマー中央政府から先住少数民族と認められ、「コーカン族」と称されている。コーカン族の主な居住地はシャン州北部の雲南省との国境地帯であり、コーカン地区と称される。
遺伝子

異民族による支配が長かったため、中国北部と中国南部の漢民族の遺伝子には非常に大きい違いが見られる。本土日本人 (Mainland Japanese)、琉球人 (Ryukyuan)、アイヌ人 (Ainu)と他のアジア民族集団の系統樹[14][15]

漢民族のY染色体ハプログループO2系統が圧倒的多数を占め、最大65.7%[16]観察される。その他のY染色体ハプログループに関しては地域差が激しいが、オーストロネシア語族との関連が想定されるO1a系統も一部(特に上海を中心とする華東地方)で多く観察される(華東地方出身者167人中40人、即ち24%のサンプルに観察された例がある[17])。両広地方(広東省及び広西チワン族自治区)の一部ではO1b1系統オーストロアジア語族と関連)も約30%観察されている。[18][19] C2系統中国東北部(旧満州)の漢族では約17% [15% ~ 23%]、華北の漢族では約14% [11% ~ 18%]、華南の漢族では約7% [0% ~ 22%]観察された例がある[20]

最近の研究から、東アジア人(モンゴロイド)を特徴付ける遺伝子があることがわかった[21][22]
脚注[脚注の使い方]
注釈
出典^Travel China Guide - Han Chinese


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