漢字
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一方で、隷書をさらに直線的に書いたものが楷書へ発達し、これをさらに崩して行書が生まれた[39]

なお、隷書から楷書ができてそれをくずす形で草書と行書ができたという説があるが現在ではこの見解は定説から外れており、『総合百科事典ポプラディア第三版』でも誤りとして修正されている[40]

六朝からの時代には書写が広まり、個人や地域による独特の崩れが発生するようになったが、科挙の制では「正字」という由緒正しい漢字が求められたが、一般庶民では「通字」や「俗字」と呼ばれる漢字が多く使われた[39]の時代には手工業者や商人など文字を仕事で使う層が台頭し、俗字が幅広く用いられた[39]。さらに木版技術の発展により、楷書に印刷書体が生まれ、宋朝体と呼ばれる書体が誕生した。明代から清代にかけて、康熙字典に代表される明朝体が確立した。

現在、書籍コンピューター文書などの印刷に使用されている漢字の書体はの時代に確立された明朝体が中心である。この起源を遡ると、後漢末期に確立された楷書に行き着く。

現代中国ではさらに簡素化を進めた簡体字が使われる。「飛」→「?」のような大胆な省略、「機」→「机」のような同音代替、「車」→「?」のような草書体の借用から、「從(従)」→「从」のような古字の復活まである。基本的に10画以下に抑えるため、民間に流布していた文字のほかに、投書を集め「文字改革委員会」が選択することで決められた[39]
字形
書体

文字は書く道具、書かれる媒体、書く速度、書き方などにより字形の様式を変えることがある。この様式の違いが文字体系全体に及ぶ場合、これを書体と呼ぶ。現在、使われている漢字の書体には篆書隷書草書行書楷書の五体があり、楷書の印刷書体として広く使われているものに明朝体がある。

甲骨文金文篆書篆書隷書楷書

なお、各書体発展の経緯については#歴史を参照されたい。
字体

漢字は点や横棒、縦棒などの筆画を組み合わせて作られている。ある漢字がほかの漢字から区別される筆画の組み合わせを字体と呼ぶ。
構成要素

漢字は、筆画筆順偏旁、偏旁の配置構造という構成要素を持つ。この構成方法の違いによって1つの字体を形成する。漢字は点や線で表される筆画の組み合わせで作られるが、必ずしも一字一字が形態として独特であるわけではなく、複数の漢字に共通の部分が存在する。これを偏旁といい、などの呼び名が、字の構成上の位置などに基づいて、これらの共通部分に与えられる。非常に単純な構成の漢字を除けば、多くの漢字はこれらの共通部分を少なくとも1つ、含んでいる。また、共通部分は、場合によってはそれ自体が独立した文字としても存在している場合もある。これらのうち、一部の共通部分は部首と呼ばれ、漢字の分類検索の手がかりとして重要な役割を果たす。
造字構造

漢字は造字および運用の原理を表す六書指事象形形声会意転注仮借)に基づき、象形文字指事文字会意文字形声文字に分類される。漢字の85%近くが形声文字と言われている。

日本の国字は、それぞれの部首が本来持つ意味を解釈して新たに組み合わせて、会意に倣って作られたものが多いといわれる。
異体字左から1.第 2.門 3.点 4.職 5.曜 6.前 7.個 8.選 9.濾 10.機 11.闘 12.品,器 13.摩、魔の略字例

漢字には同じ語を表すのに異なる字体を用いる場合がある。たとえば、「からだ」を意味する「タイ」という音をもつ漢語には「體」「体」「軆」「躰」という何通りかが当てられるが、これらは同じ漢字の異なる字体とされる。

互いに同じ意味と音を表しても字体を異にする字を異体と呼ぶ。異体字のあいだで、正式に用いられる字体を正字または本字と呼ぶ。本字の認定は時代や国によって異なっている。一方、民間で広く使われているが、正字とは認められない異体字を俗字と呼ぶ。また正字を簡略化してできた異体字を略字と呼ぶことがある。左が繁体字、右が簡体字

戦後、中国でも日本でも漢字改革が行われ、異体字間でも簡単な字体を正字としたり、新しく簡略化した字体を作ったりした。中国では字形の複雑さを基準に元の正字を繁体字、簡化された字体のものを簡体字と呼んでいる。簡体字は1956年の「漢字簡化方案」公布以降、正式に用いる字体として選ばれている。一方、日本では1946年の「当用漢字表」と1949年の「当用漢字字体表」で簡略化された字体を定め、以後、使用してきた。このため「当用漢字表」以後に用いられた字体を新字体、それ以前に用いられた字体を旧字体と呼んでいる。繁体字・旧字体と、簡体字・新字体とは「體」と「体」、「萬」と「万」のようにまったく字形の異なる俗字を採用したものもあるが、「聲」と「声」、「醫」と「医」のように一部を使ったものや、「學」と「学」のように一部の字形が変形されたものが多い。
字書詳細は「字書」を参照

字形の分析は許慎の『説文解字』に始まる。ただし、そこで求められていたものは字の本義と解字を探ることであり、古典解釈学のためであって、親字には、おもに小篆が用いられている。しかし、その部首法や六書、古字・異体字の分別など後世に大きな影響を与えている。このような字形によって分類された辞典を字書という。『説文解字』は540部首で小篆9,353字および重文1,163字を扱っている。『説文解字』を発展させたものに顧野王の『玉篇』がある。『玉篇』は、字義を分類して示すとともに、反切による字音情報がつけられ、親字は隷書体に改められている。542部首で12,824字を扱っている。『玉篇』は日本での字書の成立に影響を及ぼしている。

こういった解字を重視した部首法をとる字書に対して、検字という実用的な目的から部首法を発展させた字書が現れるようになった。その濫觴はの僧侶行均の『龍龕手鑑』であり、『説文解字』が篆書に従って部首を立てたのに対して、楷書体の字形によって部首を立てなおし、字形を字源から切り離して記号として扱い、さらに部首字を声調によって4巻に分けることがなされている。『龍龕手鑑』は240部首で26,430字あまりを扱っている。その後、の韓孝彦・韓道昭によって『五音篇海』が作られた。その特徴は部首字を五音三十六字母声調によって配列したことであり、また部分的にではあるが部首以外の部分の筆画数順に字が並べられている。444部首で54,595字を扱った。万暦43年(1615年)梅膺祚(ばいようそ)によって作られた『字彙』はその後の字書の規範となる画期的な字書であった。部首の統合整理を行って214部首で33,179字を扱い、部首字および各部首に属する親字を筆画数順に配列したのである。その方法は214部首49,000字あまりを収録した清の『康熙字典』に継承された。
字音
構成

漢字1字は中国語の1音節を表す。中国語の音節構造は「(子音)+ 母音 +(子音)」である。現代の中国語では英語のように多重子音はない。また母音は三重母音まである。

中国の伝統的な音声言語学である音韻学の分類では、語頭子音・ゼロ子音を声母、母音または母音+語尾子音を韻母という。さらに、中国語は1音節の音の高低で意味を区別するトーン言語であり、この音の高低の違いを声調という。つまり、漢字音は「声母」「韻母」「声調」(略して声・韻・調)の3つの要素によって構成されると考えられた。
字音研究史

古代の漢字音の情報は、詩など韻文にある押韻や漢字を韻母別に分類した「韻書」によって得られる。

最古の韻書は3世紀の『声類』とされているが、散逸しており、詳細は不明である。広く一般に通用した最初の韻書は7世紀の韻書『切韻』である。それ以前の漢字音は『詩経』の押韻などを元に復元が試みられており、上古音と呼ばれる。中国の字音は、この上古音、『切韻』に代表される中古音14世紀の韻書『中原音韻』に代表される近世音、および現行の現代音に分類されている。

古代漢字音復元の基準とされているのは中古音であり、日本の漢和辞典にも反切や詩韻で中古音が示されている場合が多い。反切とは韻書や古典の注釈書で使用されている漢字音表記法で、前の漢字の声母と後ろの漢字の韻母と声調を組あせて表記する。たとえば「漢」は「暁翰」、「字」は「従志」であり、「漢」は「暁」の声母と「翰」の韻母と声調を、「字」は「従」の声母と「志」の韻母と声調を組み合わせた音であったと推測される。

反切の声母の代表として使う漢字を字母と呼ぶ。字母は五音に基づきでは三十字母、では三十六字母が整理された。


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