漢字制限
[Wikipedia|▼Menu]
福澤諭吉『文字之教』及び文字之教端書 1873年(明治6年)

漢字制限論。


西周『洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論』(ローマ字推進)

近藤真琴

末松謙澄『日本文章論』(明治19年)

上田万年『国語のため』

南部義籌(ローマ字推進)

馬場辰猪『日本語文典』

上野陽一『教育能率の根本問題』1930年(昭和5年)
言文一致運動」も参照

1900年明治33年)、感動詞や字音語の長音を長音符「ー」で書き表す「棒引き仮名遣い」を小学校教科書で用いることが[注 3]、小学校令施行規則に定められた[9]。国語施策や国語教育によって国語国字の改良を行ったのである。しかし、あまり世評がよくなかったので、文部省は1908年(明治41年)に臨時仮名遣調査委員会を設置し、新たな改定案として「字音仮名遣は全て表音式にする」「国語仮名遣は活用語尾と助詞だけそのままで、その他は表音式にする」というものを出したが、結論らしい結論を得ないまま廃止された[9]

臨時国語調査会(のちの国語審議会の前身)が設置され、1922年大正11年)11月に常用漢字1962字を選定し可決(戦後の当用漢字表を経て現在の常用漢字に至る)、1923年(大正12年)12月には仮名遣改定案を可決(現代仮名遣いの原型となる)[10]

漢字の使用を制限する動きとしては、1940年日本陸軍が「兵器名称用制限漢字表」を決定し、兵器の名に使える漢字を1235字に制限した。

また1942年には国語審議会が、各省庁および一般社会で使用する漢字の標準を示した合計2528字の「標準漢字表」を答申している[11]
戦後の国語改革

第二次世界大戦後の一時期には、漢字使用を制限し、日本語表記を単純化しようとする動きが強まった。

1946年(昭和21年)3月、連合国軍総司令部 (GHQ/SCAP) が招いた第一次アメリカ教育使節団が3月31日に第一次アメリカ教育使節団報告書を提出、学校教育における漢字の弊害とローマ字の便を指摘した(ローマ字論も参照)。

同年4月、志賀直哉は雑誌『改造』に「国語問題」を発表し、「日本語を廃止し、世界で一番美しい言語であるフランス語を採用することにしたらどうか」という趣旨の提案をした。また1945年11月12日、読売報知(今の読売新聞)は「漢字を廃止せよ」と題した社説を掲載した[12]

当時の国語審議会委員にも、日本語改革論者が多数就任し、漢字廃止やローマ字化など極論は見送られたものの、彼らが関与した「国語改革」が戦後日本語に与えた影響は大きい。こうした動きを背景として、戦前から温められてきた常用漢字や仮名遣改定案を流用・修正した上で当用漢字現代かなづかいが制定された[13]

なお、同様の漢字簡略化の動きは、識字率の向上に取り組んでいた中国においても見られ、中華人民共和国成立後全ての文字表記をピン音とする動きもあったが、最終的には簡体字が導入された。
当用漢字表詳細は「当用漢字」を参照

当用漢字とは、狭義には1946年(昭和21年)11月16日に内閣から告示された「当用漢字表」に掲載された1850字の漢字を指し、広義にはそれに関連したいくつかの告示を総称する[14]。当用漢字表においては、日常使用しないとされた漢字は使用が制限され、公用文書や一般社会で使用する漢字の範囲が示された[14]

従来は複雑かつ多様であった字体の簡素化も一部の文字で行われ、新字新かなが制定された。新字体(新字)制定においては、漢字の構成要素ごとに体系的に変更を行う方式は採らず、慣用を参考に個別の文字を部分的に簡略化するのみにとどめた。

なお、当用漢字表では漢字の読みも制限したが、当初の当用漢字音訓表は「魚」の読みを「ギョ」と「うお」に制限し「さかな」の読みが認められなくなるなどの不合理が散見されたことで、1972年(昭和47年)6月28日に改定されている。
熟語の交ぜ書き・書き換え

熟語を漢字と平仮名で表記する「交ぜ書き」の問題も、当用漢字表に端を発する。同表によれば、当用漢字で書けない言葉は言い換えて表現することになっていたが、実際には漢字を仮名で書いただけで元の言葉が使われ続け、漢字と仮名の「交ぜ書き」が多数生ずることとなった。顕著な例としては「改ざん」「けん引」「ばい煙」「漏えい」などがある(「交ぜ書き」せずに全て漢字で表記した場合はそれぞれ「改竄」「牽引」「煤煙」「漏洩」〈ろうせつ=漏泄〉となる)。

なお、交ぜ書きは「けん引免許」など官公庁の用語として残っている場合もある[15]

国語審議会1956年(昭和31年)7月5日、当用漢字の適用を円滑にするためとして、当用漢字表にない漢字を含む漢語を同音の別字(異体字関係にあるものを含む)に書き換えてもよいとして「同音の漢字による書きかえ」として報告した。

従来は複数の表記が存在した熟語を一本化する方向で例示したものには、次のようなものがある(括弧内が当用漢字表にない漢字を含む書き方)。

注文(註文)

遺跡(遺蹟) - 「本跡」のように、迹から跡に書き換えるものもある。

更生(甦生: 本来の読みは「そせい」→蘇生)- 表記の似た同音異義語に「更正」がある。

知恵(智慧)

略奪(掠奪)

妨害(妨碍、妨礙)- 「障害」も類似例であるが、近年は逆に「害」の文字が差別的であるなどとして「障碍者」の表記が復活する例もある。

意向(意嚮)

講和(媾和)

格闘(挌闘)

書簡(書翰)

一般には複数の書き方があったものの、専門用語として当用漢字表にない漢字を含む書き方をしていたものについて、当用漢字表内の漢字に書き換えることを認めたものには、次のようなものがある(括弧内が当用漢字表実施以前の書き方)。

骨格(骨骼) :医学用語

奇形(畸形) :医学用語

本来その語においては使われることのなかった当用漢字表内の漢字に書き換えることを認めたものには、次のようなものがある(括弧内が当用漢字表実施以前の書き方)。

防御(防禦)

扇動(煽動)

英知(叡智)

混交(混淆)

激高(激昂)

これらの「交ぜ書き」「書き換え」には、熟語本来の意味が不明瞭になるという問題点がある。漢字は「音」と「意」で成り立っており、熟語はそれを組み合わせて意味を表したものである。例えば「破綻」を「破たん」と交ぜ書きすると、本来は「破れ綻(ほころ)びる」という意味だが、平仮名の「たん」では意味が不明瞭になる。また「沈澱」から「沈殿」への書き換えでは、本来は「澱(おり)が沈む」という意味だが、「沈殿」では「殿が沈む」と意味が不明瞭になる。「煽動」から「扇動」への書き換えに至っては、「煽り動かす」から「扇を動かす」と全く異なる意味になってしまう。「書き換え」の中には支障の少ないものもあるが(「掩護」→「援護」など)、ただ単に漢字の音を仮借しただけのものも多々ある。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}こうしたことから、「交ぜ書き」「書き換え」は、「熟語の成り立ちを破棄し、日本語文化を破壊した」、「行き過ぎた合理主義により日本語の乱れを認めてしまった」などと批判されることがある。[誰によって?]
当用漢字別表と人名用漢字別表詳細は「教育漢字」および「人名用漢字」を参照

当用漢字のうち881字は、小学校教育期間中に習得すべき漢字として、1948年(昭和23年)2月16日に当用漢字別表という形でまとめられた。いわゆる「教育漢字」である。

人名については、同1948年(昭和23年)施行の戸籍法第50条には「子の名には、常用平易な文字を用いなければならない」とある。この範囲は当初は法務省令によって平仮名、片仮名、当用漢字であるとされており、当用漢字以外の漢字は新生児戸籍の届出の際に使用することができなかった。1951年(昭和26年)には人名用漢字別表として92字を内閣から告示され、当用漢字外の漢字も一部認められることになった。

この人名用漢字別表は、数度の改定を経て1997年(平成9年)には285字を含むものとなった。札幌高等裁判所において、「常用平易な文字」であるのに人名用漢字別表に含まれないために子供の名として使用できなかったことを不服とした裁判で訴えが認められた[16]ことも要因の一つか、2004年(平成16年)9月27日付で488文字が追加された。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:89 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef