漢口事件
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平和街に接近するや頑として退かず、やむなく陸戦隊は本願寺の土堤に向かって機銃の威嚇射撃を行うと、群衆は逃げ去った[20]。陸戦隊によって租界を追われた群衆は、他国の租界にある日本人商店を襲撃した[21]。また暴徒は放火した[21]

4月3日夜には日本人25名がイギリス艦ビー号に避難し保護された[22]。同仁病院も漢口から引き上げを行った[22]
日本人監禁

水兵11名[23]、同人会病院の石井小兵衛、三井木行の石田倉之ら民間人数名らは殴打され監禁された[24]。水兵は飲食店にいたところを襲われ、散々殴打されて拉致され、フランス租界外の総工会本部に監禁された[24]。監禁中は足を縄で縛られ、青龍刀を突きつけられ愚弄された[25]。また、当時の中国の新聞にはこれらの監禁された日本人を「捕虜」として報じた[25]

4月4日朝、唐生智は軍を派遣して水兵を引き取った[24]。唐生智は総工会に対して「日本側に有利な条件を容れさせるための人質なので、そのまま返したら承知せず」と言った[24]。唐生智が人質を日本側に送ろうとしても糾察隊は衛戍司令部を監視して妨害した[24]。総領事が協議した結果、7日夜にようやく取り戻した[26]。石井小兵衛ら数名は4日夜12時に釈放された[25]


国民政府外交部長の陳友仁は事件の夜に駆けつけ、高尾総領事に対して遺憾の意を表し、当方にて全責任をもって解決すると言った。武漢衛戍総司令の唐生智も来て遺憾の意を表し、租界は中国軍隊にて護衛するので陸戦隊の撤退を要求した。総領事は中国側の誠意を尊重して陸戦隊の撤退を希望し、また中国側は軍隊を租界の周囲に配し、糾察隊とともに群衆を遠ざけ、日本人に危害を加えるな、略奪するなといったポスターを貼るなど誠意があるように見えたので、陸戦隊は一時大正ホールに引き上げた。しかし軍隊の略奪が行われ、直ちに陸戦隊を配備した。本願寺に進入した唐生智の軍隊は木堂内の略奪容疑で、何健の軍隊に代えられ、それも陸戦隊の抗議により、本願寺から撤退した。総工会の代表は「中国人が十人死んだ。発砲は不法だ。衝突の原因を明らかにされたい。陸戦隊を即刻引きあげられたい」など勝手な注文を持ち出したが、総領事のために一蹴された。また総工会は食糧封鎖を強行しようとした[26]
引揚げ漢口には上海から糧食を満載した天龍及び第十八駆逐隊の天津風時津風磯風が派遣された[27]

4月3日、宜昌ではスタンダード石油は店を閉鎖し、アメリカ人全員がイギリス艦、アメリカ船にて引揚げることを決する[28]。アメリカ公使は在北京アメリカ人に対して北京からの引揚げの勧告を行った[29]

4月4日、日本総領事は在留日本人の引揚げを告示した[30]4月6日には、日本人婦女子1320名が大福丸と襄陽丸に乗って引き揚げた。その後数回に分けて引き揚げ、二千数百人の在留邦人は5月9日には444人となった[31]
その後

4月6日張作霖によりソ連大使館を目的とした各国公使館区域の捜索が行われた。

4月12日、共産党を警戒する列強の支持を受けた?介石上海クーデターを起こし多数の共産党幹部を処刑した[32]

6月末には、中等教育機関東亜同文書院が南兵(国民党軍)第35軍によって占領された[33]
脚注[脚注の使い方]^ 重光葵 原著 & 服部龍二 編著 2002.
^ 「漢口事件解決に関する文書」『日本外交年表並主要文書 下』
^ 中支被難者連合会 1927, pp. 112?114.
^ 大阪毎日新聞 1923.9.22(大正12)「乱入した支那兵の一隊は忽ち宜陽丸船長を射殺した」
^ 中支被難者連合会 1927, p. 119.
^ 中支被難者連合会 1927, p. 117.
^ a b 中支被難者連合会 1927, p. 118.
^ a b c 中支被難者連合会 1927, p. 105.
^ a b c 中支被難者連合会 1927, p. 106.
^ 中支被難者連合会 1927, pp. 109?110.
^ a b 中支被難者連合会 1927, p. 120.
^ 中支被難者連合会 1927, p. 121.
^ “『支那の声明は信頼できぬ 某消息通談』”. 大阪朝日新聞. 神戸大学 (1927年4月5日). 2012年2月11日閲覧。
^ a b c d 戦史叢書第72巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで、156ページ
^ 中支被難者連合会 1927, pp. 81?82.
^ a b c 中支被難者連合会 1927, p. 82.
^ 中支被難者連合会 1927, pp. 82?83.


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