チベット一部の西洋国家やチベット亡命政府は中華人民共和国がチベットの統治に漢語(中国語)教育の推進、寺院の「破壊」、漢族チベットへの移民の推奨などの同化政策を行っていると非難している。これに対し、中国政府は自国の統一を保ち、分裂を防ぐことを最重要課題と見なし、チベット文化の破壊は本意ではなく政策の不全のためであり、その政策も徐々に改善されていると主張している(実際には西洋化または現代化)。また、青蔵鉄道(チンツァン鉄道)などが建設され、チベットでの大陸同化も促進されている。
台湾台湾の住民は元々漢人ではないが、三国時代から広東省、福建省などから漢人が台湾に移民し始め、漢文化(鶴?
、客家文化を主とする)が台湾にもたらされた。また、この過程で台湾原住民と漢人の間である程度の混血が進められた。
第二次世界大戦、国共内戦に敗れた中国国民党が台湾に移動し、中国化が1990年代まで国民党政権によって強制された。
新たな「中国化」2000年頃から、中国化という単語は台湾の政治において、中国大陸が台湾に及ばす文化や経済的な影響を指す術語として知られ始めた。台湾独立運動を支持する者は、近年三通を例に挙げられる中国大陸と台湾間の文化、経済的な繋がりの強化は台湾を「中国化」する手段であり、後の中国統一に道を敷く行為だと見なしている。
また、「中国化」は1990年代以降に台湾で盛んになった台湾本土化運動に代表される「脱中国化
」(中国語繁体字:去中國化)とよく比べられる。
その他與那覇潤は、日本史を「中国化」「再江戸時代化」という概念をキーワードにして説明しているが[2]、これは「普遍的理念に基づく独裁的権力の確立と中間共同体の崩壊」を指すものであり、本稿記述の中国化とは異なる。
清王朝についての中国化については議論がある。新清史は1990年代半ばに始まる歴史学的傾向であり、清王朝の満洲人王朝としての性質を強調している。以前の歴史観では中国の歴史家を中心に漢人の力を強調し、清は中華王朝として満洲人と漢人が同化したこと、つまり「漢化」が大きな役割を果たしたとされていた。1980年代から1990年代初頭にかけて、しかし日本やアメリカ学者たちは満洲語やモンゴル語、チベット語やロシア語等の漢字文献以外の文献と実地研究を重視し、満洲人は満洲語や伝統である騎射を保ち、それぞれの地域で異なった体制で統治していたため長期的支配が行えたとし、中華王朝よりも中央ユーラシア的な体制を強調している。満洲人の母語はアルタイ系言語である満洲語であったこと、広大な領域を有した領土の4分の3が非漢字圏であったことなど「清朝は秦・漢以来の中国王朝の伝統を引き継ぐ最後の中華王朝である」という一般に流布している視点は正確ではないとしている[3]。中国国内では「新清史」の学術的成果は認められつつあるものの、「漢化」を否定する主張については反対が根強くある。2016年においても劉文鵬が「内陸亜洲視野下的“新清史”研究」で「『新清史」は内陸アジアという地理的、文化的概念を政治的概念に置き換えたことにより中国の多民族的国家の正統性を批判している」としていることからも、現在の中国においては新清史の学術的価値は認められつつも、その主張には依然として反対する流れに変化は無いようである[4]。なお「新清史」は、2003年に中国国務院によって承認された新清史とは無関係である。
脚注[脚注の使い方]^ 松下憲一『北魏の国家構造』 北海道大学〈博士 (文学) 甲第5318号〉、2001年、36頁。doi:10.11501/3181952
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