ドイツでは、劇作家・啓蒙家のゴットホルト・エフライム・レッシングが戯曲『サラ・サンプソン嬢』を書き、中産階級の生活を描く市民劇の先駆けとなった。また、レッシングは『ハンブルク演劇論』(1767年-1769年)を記し、劇作技術についての新しい演劇論を展開した。
フランスでは劇作家ピエール・ド・マリボーが、フランスの中産階級の生活風景を題材に多くの喜劇を発表した。
イタリアではカルロ・ゴルドーニやカルロ・ゴッツィが、イタリアのコメディア・デラルテを革新しようと試み、フランス喜劇の生活感を描く手法を用いて多くの喜劇を書いた。 縄文時代の出土遺物には装飾的な縄文土器など祭祀に関係する遺物や呪術的な装身具が出土しており、装身具のなかには土製仮面など演劇の起源に関する可能性のある遺物が存在している。縄文祭祀や土製仮面の使用用途は不明だが、人間の顔の大きさをしているところから、実際に着用され、なんらかの目的で使われたのではないかと見られている。これらは日本列島における演劇の起源を示す資料のひとつとして扱われている。 文献資料においては、古代に成立した『古事記』や『日本書紀』には、演劇的行為についての記述がある。これらは演劇の起源を示す証拠とはならないが、古代において演劇的行為が、宗教や政治とどのように結びついていたかを示す資料とされている。 危機における岩戸隠れのエピソードでは、伏せた桶の上でアメノウズメが踊っている。山幸彦と海幸彦では、苦難の末に海幸彦を屈服させた山幸彦が、海幸彦を「俳優(わざをぎ)の民」とすると宣言し、滑稽な物真似芸を演じさせている。前者のアメノウズメノミコトは、演劇と言うよりも舞の一種である神楽の起源とみなされている。後者はより演劇的なエピソードであり、古代社会において芸能が、神や支配者を楽しませるもの、奉納するものとしての要素があったことを示している。 例えば『六国史』として知られる歴史書には、各地の様々な芸能を、大和朝廷にて天皇が観覧したとの記述が度々出てくる。政治・祭祀の中心地に集積されていったそれらの芸能は、互いに融合したり、独自の発展を遂げるなどしていった。 古代日本は朝鮮半島や中国大陸からもたらされる文化の影響を受けて発展した。演劇においても古来伝わるものに大陸の文化を加えて独自に発展していった。それらには推古天皇のときに伝わったとされる伎楽や奈良時代に伝わったとされる散楽がある。散楽は奈良時代には朝廷の組織として「散楽戸」が置かれるなど、朝廷の保護下にあった。 平安時代になると散楽戸は廃止されるが、芸能自体が廃れたわけではなく、むしろ在野で独自の発展を遂げ、猿楽となったという。 またこの頃には田楽や延年も発達し、相互に影響を与えながら発展していったものとみられる。もとは大衆の間で演じられていたこれら芸能も、平安後期から鎌倉時代になると専門の演者集団が座を組織するようになり、大規模化していった。そのような中で大和猿楽の一座から観阿弥・世阿弥が出て、今日に伝わる能(能楽)として完成されるのである。以下、能の歴史については「猿楽」の項目が詳しい。 江戸時代になっても引き続き能は演じられていたが、上級武士の嗜む芸術という色を濃くしていた。 近世期には貨幣経済の浸透や都市の発達に伴い庶民が需要した文芸や美術が発達し、演劇では歌舞伎と人形浄瑠璃が発達した。出雲阿国が始めたとされる歌舞伎と、中世に現れた三味線を使った芸である浄瑠璃が人形劇と結合した人形浄瑠璃は、社会的に安定期にあった江戸時代において発達し、浄瑠璃作家も出現し社会的背景を反映させた作品も手がけている。 明治時代になると、西洋の文化が日本にも流入してきたため、江戸時代から続く歌舞伎の様式は古臭いものとされるようになった。そのため歌舞伎界の内部では演劇改良運動が起こった。 このほか、歌舞伎ではない新しい演劇としての新派演劇が生まれた。声優#言文一致・演劇改良運動も参照。 20世紀にはより芸術志向を強くした新劇が小山内薫らにより始められ、西洋的な演劇思想に基づいて盛んに活動した。関東大震災後には築地小劇場が建設され、後の東京大空襲で消失するまでの間、新劇界の中心であり続けた。また、大正時代・昭和時代には宝塚少女歌劇団や松竹少女歌劇団といった少女歌劇が発足された。
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19世紀
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20世紀以降
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古代から中世
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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