滝本弁護士サリン襲撃事件
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その後、くも膜下出血ではないかと考え医師の診察を受けた[5][6]。滝本は元々視力があまり良くなく眼鏡を着用していたため、一連のオウム真理教事件が発覚するまで気がつかなかったという。また、滝本は車に乗るとウォッシャーを使う癖があり、サリンの効果が弱まったとされる[7]

その後、オウム側は高橋克也が事務所に電話をかけて滝本が生存していることを確認し、井上嘉浩は効果がなかったことを示す「サクラ散る」の暗号を電話で麻原に送信。これを受け麻原は「そうか、サクラが散ったか。いつになったら夢が叶うんだろうか」とぼやいたという[8]
その後
VXによる毒殺未遂

1994年9月、デパートで購入したポマードと混ぜたVX溶剤を滝本の車のドアノブに塗布したが、滝本は手袋を着用していたため吸収されず、その手袋も汚くなり捨ててしまったので害はなかった[9][7]。10月に井上嘉浩らが再度VXで襲撃に向かったが、警察官がいたため中止された[2]
ボツリヌス菌による毒殺未遂

1994年11月4日(坂本堤の命日)、オウムから脱会脱走した両親の施設に取り残されていた子供(2歳)の脱会交渉(青山吉伸林郁夫が出席)が行われた富士宮市の旅館において、ボツリヌス菌が塗られたコップでジュースを飲んだが、菌がうまく培養できていなかったため健康被害はなかった[10]。林は、遠藤誠一の話ではボツリヌス菌を飲んでも下痢程度とのことで、殺意はなかったとしている[11]

以上のように度重なる襲撃にもかかわらず、滝本が難を逃れたのは奇跡的とも言われているが、一方で滝本は過去に宗教団体に関わる仕事を経験していたことや、オウムと関わるうちに危険な宗教団体だと勘付いていたことから、オウム信者を信用しておらず、オウム信者やその家族と接する際には常に使い捨ての手袋やマスクを着用する、出された食べ物には手をつけない、飲み物も一口舐める程度にする、などの自己防衛を怠っていなかったことが大きかったといえる。

なお、滝本の家族は全国各地に分かれて避難しており、こちらも被害はなかった[1]
脚注[脚注の使い方]^ a b 毎日新聞社会部『オウム「教祖」法廷全記録6』 p.55
^ a b c d e松本智津夫被告 法廷詳報告 林郁夫被告公判カナリヤの会公式サイト
^ 降幡賢一『オウム法廷7』 p.268
^ 1996年2月に逮捕され、東京家庭裁判所に送致。殺意が認定されず不処分
^ a b 平成7合(わ)148 殺人,同未遂,犯人蔵匿被告事件 平成14年10月11日 東京地方裁判所
^ 「備忘録?サリン事件の真実」 滝本太郎ブログ
^ a b 江川紹子『全真相 坂本弁護士一家拉致・殺害事件』 p.235
^ 江川紹子『魂の虜囚』 p.330
^ 「資料?滝本車両 VX」 滝本太郎ブログ
^ 「脱会とは-10」 滝本太郎ブログ
^ 降幡賢一『オウム法廷3』 p.130

関連項目

サリン

オウム真理教

オウム真理教事件










オウム真理教
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