滋賀県
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この4区分以外に区分される場合があり、例えば2017年時点で滋賀県では大津地域、南部地域、甲賀地域、東近江地域、湖東地域、湖北地域、高島地域の7地域に区分がされている[12]。各々に属する自治体は以下の通り。なお、郡は1878年(明治11年)の浅井郡の東西分割と1897年(明治30年)の西浅井郡の伊香郡編入以外は、大宝律令以来の郡名と区画が昭和の大合併期までほぼ踏襲されていた[注釈 5]

※人口は2024年5月1日現在

※太字の自治体は県事務所(合同庁舎)所在地
湖南

畿内に隣接する交通の要衝であり平野部も多く、天智天皇のころには大津に都が置かれるなど、古くから開発が進んだ。京都市と事実上の双子都市を形成している大津市や、大津の伝統的な衛星都市であった草津市をはじめ、現在では通勤・通学圏として京阪との繋がりが強く、いわゆる「滋賀府民」の多い地域となっている。甲賀は、県境を挟んで接する三重県伊賀地域と並んで忍者傭兵)と製薬の町として知られる。甲賀市信楽は古代に短期間ながら紫香楽宮が置かれた地であり、中世以降は信楽焼の産地として長い歴史を持つ。

大津地域[注釈 6] - 345,085人

大津市(本庁舎所在地)


南部地域[注釈 7] - 352,040人

草津市

守山市

栗東市

野洲市


甲賀地域 - 139,780人

甲賀市

湖南市


湖東

湖南地方とともに平野部が大きく開けており、穀倉地帯や交通の要衝として栄え、肉牛の飼育が盛ん。近江商人を最も多く輩出した地域でもある。

東近江地域
[注釈 8] - 223,208人

東近江市

近江八幡市

蒲生郡

日野町

竜王町



湖東地域[注釈 9] - 152,501人

彦根市

愛知郡

愛荘町


犬上郡

甲良町

多賀町

豊郷町



湖北

京阪から最も遠い地方であり、関西文化圏の東端であるとともに北陸地方や東海地方との緩衝地帯である。近代には養蚕業が盛んであったが、現在では湖南地方や湖東地方に比べて宅地やオフィスの開発や工場進出が遅れている(いわゆる「南北格差」)。しかし、そのために伝統的な文化や景観が保たれている。

湖北地域 - 145,499人

長浜市

米原市


湖西

畿内と若狭湾・北陸地方を結ぶ街道筋で、湖南地方とともに京都との繋がりが強い。近代に幹線交通網から外れたため、開発から取り残されていた。安曇川扇状地と石田川扇状地を除いて平野部が少なく、琵琶湖近くまで山地が迫る自然豊かな地方である。歴史・文化的には大津市北部も湖西に含まれる。

高島地域
[注釈 10] - 43,971人

高島市


廃止自治体詳細は「滋賀県の廃止市町村一覧」を参照

合併により2004年(平成16年)以降に廃止になった自治体は下記の通りである。

甲賀郡 - 郡内全ての町が合併・市制施行し、郡も消滅した。

甲賀町甲南町信楽町土山町水口町の5町が合併し、甲賀市に。

石部町甲西町の2町が合併し、湖南市に。


蒲生郡 - 4町→2町

蒲生町 1町が編入し、東近江市に。

安土町、近江八幡市の1市1町が合併し、新近江八幡市に。


野洲郡 - 郡内全ての町が合併・市制施行し、郡も消滅した。

中主町野洲町の2町が合併し、野洲市に。


高島郡 - 郡内全ての町村が合併・市制施行し、郡、そして村も消滅した。

安曇川町今津町新旭町高島町マキノ町朽木村の5町1村が合併し、高島市に。


坂田郡 - 郡内全ての町が合併・市制施行し、郡も消滅した。

米原町山東町伊吹町の3町が合併し、米原市に。

最後に残った近江町もその後米原市に編入。


八日市市 - 他郡の町と合併・市制施行し、市も消滅した。

八日市市、神崎郡永源寺町五個荘町愛知郡湖東町愛東町の1市4町が合併し、東近江市に。


神崎郡 - 郡内全ての町が合併・市制施行し、郡も消滅した。

永源寺町五個荘町八日市市愛知郡湖東町愛東町の1市4町が合併し、東近江市に。

最後に残った能登川町もその後東近江市に編入。


愛知郡 - 4町→1町

湖東町愛東町八日市市神崎郡永源寺町五個荘町の1市4町が合併し、東近江市に。

愛知川町秦荘町の2町が合併し、愛荘町に。


東浅井郡 - 郡内全ての町が合併・市制施行し、郡も消滅した。

浅井町びわ町、長浜市の1市2町が合併し、新長浜市に。

最後に残った湖北町虎姫町もその後長浜市に編入。


滋賀郡 - 郡内全ての町が合併・市制施行し、郡も消滅した。

志賀町が大津市に編入。


伊香郡 - 郡内全ての町が合併・市制施行し、郡も消滅した。

木之本町高月町西浅井町余呉町が長浜市に編入。


歴史

滋賀県はその地理的特性から、奈良・京・大坂への物資や人材の供給源および中継地、あるいは畿内と東国・北国とを結ぶ要衝として発展し、日本の中央史に大きく関わってきた。

白洲正子は随筆『近江山河抄』の中で「近江は日本の楽屋裏」と評した。また歴史学者の今谷明は著書『近江から日本史を読み直す』の中で「近江の歴史を書くことは、日本通史を著すのと同じこと」と語り、近江の歴史的価値と重要性を奈良・京と同等かそれ以上に高く評価している。延暦寺横川中堂安土城大手道近江八幡市新町通り重伝建彦根城特別史跡滋賀県最高峰伊吹山とJR東海東海道新幹線 (N700系)
古代

弥生時代から多くの渡来人が入植し、都に近いために早い時期から開発が進められた。


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