滋賀県(しがけん)は、日本の近畿地方に位置する県。県庁所在地は大津市。かつての近江国に相当するが、1876年から1881年までは若狭国および越前国敦賀郡(嶺南)も含んでいた。 令制国の近江国(江州)と完全に一致する。県名は大津が属していた郡名「滋賀郡」から採用された。「滋賀」の発音は、共通語では「し」にアクセントを置く(頭高型アクセント)が、地元では「が」にアクセントを置く(尾高型アクセント)ことが多い。「滋賀」の語源については「滋賀郡」を参照 「近江」が「近つ淡海」に由来し、現在も滋賀県が「湖国」と呼ばれるように、県の面積の6分の1を占める琵琶湖は県のシンボルである。産業用水、飲用水の源、観光資源としてその存在は大きく、地域性も琵琶湖を挟んで異なる。琵琶湖があるために内陸県で唯一漁港を持ち、その数も20港と多い。水運交易が盛んだった中世や近世には若狭湾と上方を繋ぐ中継地として、大津や堅田など内水系の重要港湾が数多く発展した。東海道・東山道(中山道)・北陸道が合流する陸上交通の要衝であり、「近江を制する者は天下を制す[1]」としてたびたび戦乱の舞台となった。 交通利便の良さは人材の流出をもたらし、戦前まで滋賀県は流入人口よりも流出人口の方が多かった。中世から近代にかけては多くの出身者が近江商人として大坂や江戸など全国各地に進出し、「琵琶湖の鮎は外に出て大きくなる」という諺まで生まれた[注釈 1]。太平洋戦争後、高速道路の整備やトラック流通の興隆に伴って交通利便のよさが再認識され、流通拠点や工場・研究開発施設が相次いで進出。近年はJR西日本の看板列車である新快速の拡大に伴って、琵琶湖線(東海道本線)沿いの大津市や草津市といった湖南地域は、京都市や大阪市といった大都市のベッドタウン・衛星都市としても注目されるようになり、首都圏以外の地方では数少ない人口増加県へと転じた[注釈 2]。なお、開発が進むのは京都や大阪に近い南部であり、北部とは経済格差が起こっている。南部では新興住宅地が広がり、南草津駅などの駅前にはマンションが林立するなど賑わいがある一方で、北部や西部は田園風景が広がり、地域によって人口動態の開きが大きい。ただ人口が停滞している湖北・湖東地域であっても地域再生の議論や実践が活発である[2]。また、滋賀県は西日本有数の工業県でもあり、県内総生産の48%を第二次産業が占める(全国1位)[3]。 滋賀県は近畿地方に分類され、文化的・経済的に関西2府4県の一つとして、京都や大阪との結び付きが強い。特に隣接する京都とは「京滋」と呼ばれるほど古くから密接なつながりを持ち、草津市や大津市など県内の主要都市が京都都市圏やより広義の京阪神大都市圏(近畿圏)に含まれている。県庁所在地である大津市と京都市は隣接しており、大津駅と京都駅はJRの在来線で10分程度の近さである。県南部を中心に京都府・大阪府に通勤通学する、いわゆる「滋賀府民」が多い。 また、地理的な立ち位置から中部地方との交流も盛んである。近畿圏整備法で定める「近畿圏」と中部圏開発整備法で定める「中部圏」の両方に含まれ、滋賀県知事は近畿ブロック知事会と中部圏知事会議の両方に出席している(福井県と三重県も同様)。また福井県・岐阜県・三重県とともに「日本まんなか共和国」を設立し、知事サミットや文化交流事業などを行っている。愛知万博では中部8県とともに「中部千年共生村」を共同出展した。北部は近畿・中京・北陸の交点であり、工場や物流センターの設置計画が進む。なお、NHK名古屋放送局で制作する東海3県(愛知県・岐阜県・三重県)向けの天気予報には常時滋賀県の予報が表示される。また、かつてテレビ東京系列で放送され滋賀のびわ湖放送でも放送された「メガTONニュースTODAY」の最後の天気予報[注釈 3] では、少なくとも1985年10月以降は、全国の天気予報の後各地の天気を報じる際「滋賀・東海地方」の区分で報じられ、次の「近畿・せとうち地方」には京都府・奈良県以西のみが表示されていた。 高度成長期に水質汚染の被害を受けた琵琶湖があることから、県民や行政の環境への意識が高く、また環境関連企業や人材が集積していることから全国でも屈指の「環境先進県」として知られている[4]。 本県は琵琶湖及びそれを取り囲む山々(比叡山・比良山系・伊吹山・鈴鹿山系)を有し、早くから都が置かれ、古代・中世から交通における重要拠点であったことから日本史上の関わりが極めて強く、県全土にわたり自然・歴史・文化的資源が豊富に存在する(後述)。 周囲を山脈・山地が取り囲み、中央部に琵琶湖と近江盆地が広がる。面積は全国で10番目に狭い。面積の半分以上は山地、およそ6分の1は琵琶湖が占めており、可住地面積は大阪府よりも狭い。
概要
地理・地域
地形
山地:比良山地、野坂山地、伊吹山地、鈴鹿山脈、丹波高地