溶鉱炉
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西洋における最初の高炉は、スウェーデン1150年から1350年の間に作られたらしい。この高炉が、独自の技術で作られたのか、モンゴルからもたらされた技術によって作られたのかははっきりしていない。高炉は中世を通じ、ヨーロッパ中の鉄鉱石のある地域へと伝播していったが、のち高炉で製造した銑鉄を精錬して鋼鉄とする技術が考案され、製鉄における高炉の役割は不動のものになった。

初期の高炉は大量の木炭を消費した。そのため製鉄地域では、造船や建築など他の用途に使う木が払底するほど森林破壊の問題が常についてまわり、製鉄のため木を切ることを禁止する法律が繰り返し出された。そこで木炭に代わる、石炭を使う高炉が研究された。石炭は硫黄などの不純物を含むため、そのままでは使用できなかったが1709年エイブラハム・ダービーが石炭をコークスにすることでこの問題を解決する。その結果、鉄の生産量は大幅に増大し、蒸気機関の発明と相まって、18世紀の産業革命の基盤となった。

日本における最初の近代高炉は、安政元年(1854年)7月に、薩摩藩による集成館事業によって完成した[1]島津斉彬反射炉で作られるたたら製鉄で生産した和鉄が、大砲鋳造に不向きなことを知っており、いち早く熔鉱炉建設に踏み切った[2]高炉(神戸製鋼所加古川製鉄所

2004年7月現在、世界で高炉のある製鉄所は、

ミッタル・スチール

ポスコ

ほか

日本において高炉のある製鉄所は、

日本製鉄 - 7(北日本(室蘭)・東日本(鹿島君津)・名古屋・関西(和歌山)・九州(戸畑地区大分

JFEスチール - 4(東日本製鉄所(京浜地区・千葉地区)西日本製鉄所(倉敷地区・福山地区)

神戸製鋼所 - 1(加古川

の合計12か所で、2022年9月現在21基の高炉が稼働している。
高炉の耐火煉瓦の劣化状況の把握

耐火煉瓦の劣化状況を調べるためにかつては耐火煉瓦内にコバルト60を入れて製品への含有量から劣化状況を間接的に把握していた[3][4]

炉底の耐火煉瓦の劣化状況など、稼働中の溶鉱炉の内部を外部から透視することは長年できなかったが、現在では分解能は低いものの、溶鉱炉内の様子をミュー粒子で透視するミュオグラフィの開発が産学連携で進められる[5][6]

コバルト60を用いたことから現代の鉄鋼製品には極微量のコバルト60が環境に拡散された。無論、人体や生態系に影響を及ぼすものではないものの、微量放射能検出の際には障害となるため、太平洋戦争前に金属鉄となった鉄が環境放射能の遮蔽材として使われる。日本における代表例が戦艦陸奥の船体引き上げで得られた陸奥鉄である。
日本の高炉の詳細

会社製鉄所高炉番号炉容積
(m³)最近の火入れ
日本製鉄北日本(室蘭)第2高炉3,0142020年11月22日
[7]
東日本(君津)第2高炉4,5002012年5月28日
東日本(君津)第3高炉4,822(2016年3月12日休止)
東日本(君津)第4高炉5,5552003年5月8日
東日本(鹿島)第1高炉5,3702004年9月29日
東日本(鹿島)第3高炉5,3702007年5月22日(2024年度末休止予定)[8]
名古屋第1高炉5,4432007年4月25日
名古屋第3高炉4,4252022年8月27日[9]
関西(和歌山)第5高炉2,7001988年2月22日(2019年1月18日休止)[10]
関西(和歌山)第1高炉3,7002009年7月17日(2020年4月25日休止)[8][11]
関西(和歌山)第2高炉3,7002019年2月15日[10]
瀬戸内()第1高炉2,6501995年4月(2021年9月29日休止)[12][13]
瀬戸内(呉)第2高炉2,0802003年11月(2020年2月15日休止)[12][13]
九州(八幡)戸畑第4高炉5,0002014年4月20日
九州(八幡)小倉第2高炉2,1502002年4月(3次) (2020年7月18日休止)[14]
九州(大分)第1高炉5,7752009年8月2日
九州(大分)第2高炉5,7752004年5月15日
神戸製鋼所加古川第1高炉4,550(2007年5月20日休止)
加古川第2高炉5,4002007年5月29日(3次)
加古川第3高炉4,8442016年12月23日(3次)
神戸第3高炉2,1122007年12月16日(2017年10月31日休止)[15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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