ヨーロッパでも中世の頃から金属の接合技術が発達する。1540年イタリアの高名な冶金学者ヴァンノッチョ・ビリングッチが冶金学に関する最初の本を発表した。この本を元にルネッサンス時代の技術者は鍛接の技術を発達させていき、やがて近代以降の溶接技術の発展につながっていく。
ヨーロッパにもドイツのゾーリンゲンなど伝統的に金属加工を得意とする地域がある。英語では鍛冶屋のことをblacksmith、鍛冶のことをsmithingと書き、ドイツ語ではSchmiedと書く。そのためか、溶接関連の功労者にはSmithや、Schmiedeから派生したSchmidtを姓に持つものが多い。(ドイツ姓のシュミットにはSchmidtのほか、SchmidやSchmittなどバリエーションあり) また、今でも欧米の溶接関連企業にはスミスやシュミットの発音の付く会社が多く、これも溶接と鍛冶屋の強い関連をうかがわせる(例えば GE Schmidt 社、UA Fort Smith 社など)。
鉄を溶かすには高温が必要である。母材を直接溶かして鉄を溶接することができるようになるのは、近代に入って電気やガスが使えるようになってからであった。 近代に入ると、電気やガスで集中的に加熱することが可能になる。様々な溶接が次々に開発されるが、主流はアーク溶接と抵抗溶接(スポット溶接)である。アーク溶接は鋳掛けの代替技術として急速に普及していく。薄板板金にスポット溶接が使われるようになると、鍛接の用途は特殊な用途に限られるようになる。 1800年にイタリアの物理学者ボルタが電池を発明したのと同時に電極間に火花が散る現象が認識されるようになった。この発光現象を研究したイギリスのハンフリー・デービーは1807年にボルタ電池を2000個つなげたものを電源とし、水銀に浸した木炭を電極として用いる事で放電を安定的に継続させる事に成功する。デービーはこの放電現象をエレクトリック・アーク (Electric Arc) と名付け[5]、当初は照明(アーク燈)用に研究が続けられた。1865年、英国のウェルド (Welde) がアーク溶接についての特許を取得する。1885年、アーク燈の研究者であるベナードス(Benerdos)が、炭素アーク溶接法を発明し、特許が同年のうちにフランス、英国、ドイツ、スウェーデン、1886年にはロシア、1887にはアメリカで認可され[6]、これを契機としてさまざまなアーク溶接法が考案され、アーク溶接は急速に進展していく。1907年、スウェーデンのチエルベルヒ(Oscar Kjellberg)により被覆溶接棒が発明され[7]被覆アーク溶接が可能になったことにより、アークの発生自体が簡単になり、より安定したアークを発生させることができるようになった。以後アーク溶接は普及の度合いを速めていく。 第一次世界大戦に入ると溶接能力の大幅な向上が強く求められるようになった。溶接技術の優劣が軍事力の優劣に直接結びついたためである。この時期、イギリスでは全ての外板を溶接で建造した船が作られた。アメリカでは溶接の普及が遅れていたが、ドイツ軍のニューヨーク港攻撃で破損した船舶の修復にアーク溶接が用いられ、その威力が認められるようになる。ドイツでは航空機の建造にも既に溶接が用いられていた。ロボットによるアーク溶接のビード 1920年代、溶接ワイヤーが連続的に供給される半自動アーク溶接が登場する。当初はブローホールが発生し品質の確保が困難だったが、溶接を大気から保護するシールドガスが開発され、この問題は大きく改善された。品質に問題がなくなると、半自動溶接は急速に広まっていく。1930年代に入るとフラックスが開発されアルミニウムやマグネシウム合金などのアーク溶接も可能になる。 日本では1930年に作られた駆逐艦夕霧の一部に初めてアーク溶接が用いられた。本格的にアーク溶接が用いられたのは1931年に作られた海軍の敷設艦八重山である。溶接が用いられることにより、艦船が軽量化し工期が大幅に短くなった。このとき、逆歪みや対称溶接など現代では常識となっている手法が溶接に用いられている。海軍の手により、これらの溶接に関する技術が規格化され、これを境に日本でも急速にアーク溶接が普及していく。 1840年代に電流をスパークさせると金属が接合する現象が発見される。加圧しつつ電流をスパークさせると接合力が飛躍的に高まることが判り、1887年アメリカでフラッシュバット溶接
近代
アーク溶接アメリカ海軍の工作兵が技能テストでアーク溶接を行う様子
抵抗溶接
現代レーザーセンサ内蔵タンデムアーク溶接ロボット 2005年 ドイツロボット用レーザー溶接トーチ 2005年 ドイツ
1960年以降から、溶接には産業用ロボットが使われるようになる。特にスポット溶接では、その90%以上の作業をロボットが担っていると言われている。日本では一年間に約3万5千台の産業用ロボットが新しく導入されているが、このうち6千台がスポット溶接、5千台がアーク溶接に使われると見られる。溶接ロボットは比較的大きなロボットであり、産業用ロボットでは最大の市場となっている。日本では現在約35万台のロボットが稼動中で、溶接ロボットはそのうち10万台程度とみられている。溶接ロボットのほかに、バリ取りロボット、仕上げロボット、溶断ロボット、塗装ロボットなど溶接の周辺工程で働くロボットがあるが、これはこの10万台には含まれていない。大量生産の現場では溶接の主役は既にロボットであるが、難易度の高い溶接は人が仕上げるほか無く、高い技能を持つ溶接技能者への需要はむしろ増している。
2000年度の国勢調査によると日本の溶接・溶断工の就業人口は24万人弱となっている。これは溶接作業をじかに行っている技能者の数で、2次的に関係している就業者は含まない。産業としてみると、溶接の関わる産業の代表といえばやはり自動車産業があげられる。日本の自動車産業の出荷額は43.2兆円。これは全製造業の出荷額の16%におよぶ。就業人口は直接的に自動車に関わる人だけでも72.6万人。2次的に関わる人も含めると507万人で全就業者数の8.7%に達し、さらに造船や建設機械、建設といった業種が、溶接関係の産業としてこれに加わる。
溶接は巨大な産業に関わるだけに先端技術が惜しみなく投入される。アーク溶接の次世代技術として、電子ビーム溶接、レーザー溶接などが研究開発されている。最新型のスキャニングレーザー溶接装置ではレーザーが遠隔照射され、何も触れることなく鉄板が正確に溶かされていく。スポット溶接の次世代技術としては摩擦攪拌接合などが実用化されている。溶接ロボットには視覚センサ、力制御、人工知能の搭載が実現されている。溶接ビードの形状をレーザーで三次元的に計測し、ロボットの制御情報と溶接機の情報をネットワークで集め、溶接品質を集中的に監視、フィードバックするシステムも実現している。 ここでは冶金学的な分類を揚げる。
溶接の分類
非消耗電極式 - ティグ溶接(TIG溶接)・プラズマ溶接
消耗電極式 - 被覆アーク溶接・サブマージアーク溶接・ミグ溶接・炭酸ガスアーク溶接・セルフシールドアーク溶接
エレクトロスラグ溶接
電子ビーム溶接
レーザービーム溶接
圧接
抵抗溶接
重ね抵抗溶接 - スポット溶接・プロジェクション溶接・シーム溶接
突合せ抵抗溶接 - アプセット溶接・フラッシュ溶接・バットシーム溶接
鍛接・摩擦圧接・爆発圧接(テルミット溶接)
ろう接
溶接の分類には加熱方法で分類したもの、装置の仕組みで分類したもの、物理現象に注目したもの、冶金学的なもの、法令に拠るものなど多数の分類方法がある。これらの分類法はいささか観念的なもので、用途に応じて発明された様々な溶接方法に対して、後から当てはめたものなので、あまり厳密に考えなくてもいいだろう。一般には、溶接の主流はアーク溶接とスポット溶接で、それらから専用機として特化したものがあり、さらに非常に特殊なものや実験的なものが少しある、程度の区別が判りやすいだろう。
上記の問題のほかに、どこまでを溶接とするかという定義上の問題も残っている。ろう接や鍛接は溶接ではない、という学者もいる一方で、機械設計者から見ればろう接や鍛接はもちろん、ボルトやリベットも金属の接合方法として重要である。設計者らにとってはこれら(ボルトとか)と溶接を切分けて扱うことはそれほど意味のあることではない。
また、圧力をかけて接合することを圧接(あっせつ)といい、特に加熱してから圧力を加えて接合することを鍛接(たんせつ)という。また母材と違う素材を溶融して接合することをろう付け(ろうづけ)という(接合法を参照)。冶金学には融接という言葉があり、これは液相による接合を厳密に定義する言葉である。冶金学による溶接の定義は融接、圧接(鍛接)、ろう付けが含まれる。
代表的な溶接方法
被覆アーク溶接(SMAW)
アーク溶接の基本。いわゆる溶接棒を使う溶接のこと。半自動溶接と区別するために手棒溶接や手溶接と言うこともある[8]。ワイヤに比べて風に強いことから、建築など屋外でのアーク溶接には大体この溶接が使われる。また溶接に必要な機材が簡単で安価であるが、使用する溶接棒は太く、比較的大電流のアーク放電で行うため薄板溶接は不可能。他の溶接方法と比べて技術を要する。
半自動アーク溶接
アーク溶接の一種。溶接ワイヤとシールドガスが手元に自動的に供給されるので、被覆アーク溶接より作業性が良い。風に弱いので屋内でのアーク溶接に使われることが多い。ガスの種類により、MIG溶接、MAG溶接、炭酸ガス溶接に分類される。溶接ワイヤが細く、インバータ制御でパルスや極性を適切に調整する機種では比較的容易に溶接が出来る。
サブマージアーク溶接(SAW)