さらに1618年には国王側近ジョージ・ヴィリアーズ(のちのバッキンガム公爵)が準男爵をナイトと同格に格下げし、1,095ポンドの条件も事実上破棄したことで宮廷が恣意的に授与するようになった[16]。
購入価格は急速な値崩れを起こし、1619年には700ポンド、1622年には220ポンドで購入する者があった[17]。1619年以降、準男爵は急増し、1622年までに198家に達している。200家に限定するという公約があったため、ジェームズ1世は1623年にプレイターズ準男爵を創設した際にこれが最後の創設であることを宣言し、1624年には1家を追加しただけで、その後崩御まで準男爵の新設はしなかった[18]。
しかしチャールズ1世即位後、三十年戦争の戦費の増大で王庫はさらに困窮したため、バッキンガム公の主導で準男爵の当初の規定は破棄され、バッキンガム公派に85の準男爵位創設権が与えられた。1626年から1629年にかけて87家が準男爵を購入したが、その大半はバッキンガム公派の斡旋だった。この時期には安い場合では200ポンドを割ることもあった[18]。
1629年のバッキンガム公暗殺後、チャールズ1世は準男爵の創設を厳しく抑制するようになり、1630年から1640年の間に準男爵に叙位されたのは4家のみである(うち1632年から1639年の間はゼロ)[18]。しかし1640年以降は再び急増し、1641年と1642年の間には129家が準男爵に叙位された。これは国王と議会の対立が深まり、イングランド内戦へ向かう政治情勢の中、少しでも多くの地主を王党派に取り込もうとしたチャールズ1世の苦肉の策だった。財源の確保という本来の目的はこの段階でほぼ失われた[18]。 イングランド準男爵位の創設から8年後の1619年9月30日にはアイルランド準男爵位が創設された。ジェームズ1世はアイルランド準男爵位を100人に限定すると誓約した[12]。ジェームズはアイルランド準男爵位の序列について男爵のヤンガーサンの下、騎士の上位にする意向を表明したが、申請する者がいなくなってしまったため、1616年には一定の年齢になった準男爵の相続人はナイトに叙されるという新たな特権を認めた[12]。 スコットランドの北アメリカにおける植民地ノバスコシアのプランテーションを推進する目的で1624年にはスコットランドの準男爵位であるノバスコシア準男爵位が構想された。授与されるためには2年間6人の入植者の支援をする(あるいはその代わりに2000マークを支払う)ことが必要であり、それに加えて1621年の勅許状でノバスコシアを与えられていたウィリアム・アレグザンダー
アイルランドとノバスコシア
合同後連合王国準男爵の最後の新規創設を受けた初代準男爵サー・デニス・サッチャー
1707年にイングランドとスコットランドが合同してグレートブリテン王国が成立するとイングランド準男爵位とノバスコシア準男爵位は創設されなくなり、代わってグレートブリテン準男爵が創設されるようになった。ついで1801年にアイルランドも合同して連合王国が成立するとアイルランド準男爵とグレートブリテン準男爵は創設されなくなり、連合王国準男爵が創設されるようになった[2]。19世紀前半に即位した女王ヴィクトリアは準男爵位に対して労働者層を世襲階級に組み込む有用な手段と見なしていたという[5]。
1898年1月に準男爵名誉協会(Honourable Society of the Baronetage)が設置され、1903年7月に準男爵に関するすべての問題の解決のための常任の組織として準男爵常任会議(英語版)に改組された[3]。1910年2月8日にエドワード7世がロイヤル・ワラント(Royal Warrant)によって内務省に保管される準男爵公式名簿(英語版)を創設し、ここに記録されない者は準男爵として扱われることはないことを宣言した。公式名簿は現在司法省によって管理されている[3]。
準男爵に叙される者ははじめ地主が多かったが、近代以降には対象が拡大されて商業、科学、文学、軍事などにおける功績によっても叙位されるようになった[3]。なかでも、19世紀後半になると商工業界の成功者も貴族に列せられることが増えた。この際に、準男爵位が富裕な醸造家に与えられることがしばしばあったため、準男爵は「ビール醸造者(英語版)(Beerage)」と呼ばれるようになった[5]。この頃になると、準男爵位を含む爵位の猟官が公然と行われるようになった[注釈 2][5]。
20世紀に入り、1958年に一代貴族制度が創設されると準男爵の叙位は減少した[2]。1964年以降は叙任例がなくなっていたが[19]、1991年にデニス・サッチャー(首相マーガレット・サッチャーの夫)が妻を支えた功績から(スコットニーのサッチャー)準男爵位に叙せられた[20]。現在のところ、これが準男爵位の最後の叙任例となっている[3]。
名前の呼ばれ方・表記方法
男性の準男爵19世紀前期の英国首相第2代準男爵サー・ロバート・ピール。準男爵位の売爵ぶりを憂いた[5]。
(ロバート・リチャード・スカンラン(英語版)画)
男性の準男爵の敬称はサー(Sir)であり、「サー」はファーストネームあるいはファーストネーム+ファミリーネームとともに付けられ、ファミリーネームだけには付けられない。