源頼朝
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祐親が在京で不在の間に頼朝がその三女(八重姫)と通じて子・千鶴丸を成すと、祐親は激怒し平氏への聞こえを恐れて千鶴丸を伊東の轟ヶ淵に投げ捨て、三女を江間小四郎[注釈 17]に嫁がせる一方で、頼朝を討たんと企てた。祐親の次男・祐清からそれを聞いた頼朝は走湯権現に逃れて一命を取り留めた。なお、前述の保立道久は頼朝が八重姫と政子の両方と関係を持っていた時期があり、北条時政を婿[注釈 18]としていた祐親が自身の面子を潰されたことが襲撃の原因としている[注釈 19]

また、政子との婚姻に関しては『源平盛衰記』に次のような逸話がある。頼朝と政子の結婚に反対する時政は、政子を山木兼隆に嫁がせるべく兼隆の下に送るが、政子はその夜の内に婚礼の場から抜け出したという。しかし、頼朝の妻となった政子と山木兼隆との婚儀については、兼隆の伊豆配流が1179年であり、長女大姫が1178年に誕生していることから物語上の創作と思われる。
挙兵詳細は「治承・寿永の乱」を参照伊豆地方の地図

治承4年(1180年)、後白河法皇の皇子である以仁王が平家追討を命ずる令旨を諸国の源氏に発した。4月27日、伊豆国の頼朝にも、叔父・源行家より令旨が届けられた。以仁王は源頼政らと共に宇治で敗死したが、頼朝は動かずしばらく事態を静観していた。しかし平家が令旨を受けた諸国の源氏追討を企て、自身が危機の中にあることを悟った頼朝は挙兵を決意すると、坂東の各豪族に挙兵の協力を呼びかけた[注釈 21][注釈 22]。源氏累代の家人からは挙兵に否定的な態度をとるものが少なくなかった一方で、知行国主変更に伴って圧迫を受けた武士、平家に近い豪族と対立関係にある武士たちの協力が見込めそうな状況にはあった。

最初の標的は伊豆国目代山木兼隆[注釈 23]と定められ、治承4年(1180年)8月17日、頼朝の命令で北条時政らが韮山にある兼隆の目代屋敷を襲撃して兼隆を討ち取った[11][注釈 24]

19日、頼朝は伊豆国において最初の政治行為を行った。伊豆を制圧した頼朝は相模国土肥郷へ向かった[注釈 25]。頼朝らは本拠地三浦を発した三浦一族と合流する予定であったが、三浦一族が大雨により増水した丸子川(酒匂川)で足止めを食ったため合流できず、その前の8月23日に真鶴付近で石橋山の戦いに突入することになってしまった。頼朝軍三百騎は平家方の大庭景親、伊東祐親ら三千余騎と戦って敗北し、土肥実平ら僅かな従者と共に山中へ逃れた[注釈 26]。数日間の山中逃亡の後、死を逃れた頼朝は、8月28日に真鶴岬(現在の岩海水浴場)から船で安房国へ脱出した[11]
坂東平定鶴岡八幡宮

8月29日、頼朝は安房国へ上陸した。上陸地は平北郡猟島[11]安房郡洲崎[16]の2説がある。『吾妻鏡』の安房国内における頼朝の行動についての記事は前後に矛盾が少なく信用でき[17]、頼朝の上陸地点があらかじめ決まっていた可能性が高い[18]。猟島は平安時代後期にはすでに湊町として開発されており[19]、平北郡には頼朝を支える相模国の三浦氏の勢力が伸びていた[17]。以上のことから上陸地点は猟島とみるのが妥当とされている[20]。また、保元3年(1158年)以来、安房国は頼朝と同時期に上西門院に仕えていた吉田経房をはじめとする吉田家の知行国となっており、頼朝が事前に経房から安房入りの了承を得ていた可能性も指摘されている[21]。そして、頼朝の上陸以前に安房国に渡っていた三浦義澄が9月3日に長狭常伴を討ち安房国制圧を達成させることになる[22][注釈 27]。また、頼朝は挙兵に先立ち三浦義澄・千葉胤頼と密談を交わしており、三浦氏のほか千葉氏の支援も期待でき[注釈 20]、長狭氏を上回る軍事力と経済力を持っている安西景益が参向した9月4日時点で頼朝の再起が事実上成立したと考えられる[20]。さらに同日景益の進言により、房総に勢力を持つ上総広常千葉常胤に加勢を要請し、9月11日に丸御厨を巡検、13日に安房国を出て上総から下総に向かう。下総では、常胤の孫成胤結城浜の戦いに勝利し、17日に下総国府で千葉一族と合流する。その後、19日には広常も大軍を率いて参上、南坂東最大の勢力である広常の参陣は後の戦局の帰趨に決定的な影響を与えることになる。上総・千葉両氏を勢力に加えた頼朝は10月2日太井隅田の両河を渡る[注釈 28]武蔵国に入ると足立遠元葛西清重を加え、清重の説得によって同じ秩父氏一族である畠山重忠河越重頼江戸重長らも頼朝に従うことになった[注釈 29]。10月6日、かつて父・義朝と兄・義平の住んだ鎌倉へ入る[注釈 30]


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