源義平
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兄弟は宿を出ると朝長は心細げに「甲斐信濃はどちらへ行けばよいのでしょう」と問うと、義平ははるか雲の方を見て「あっちへ行け」と言うや、飛ぶがごとく駆け去ってしまった[注釈 4]

負傷していた朝長は進むことができず青墓へ引き返し、捕らえられるよりは死を望み、義朝は涙ながらに自らの手で我が子を刺し殺した。

翌永暦元年(1160年)正月3日、鎌田政清の舅である尾張国の住人長田忠致の館に逗留していた義朝は忠致の裏切りにあい政清とともに謀殺されてしまった。
雷伝説

飛騨国に着いた義平は兵を募り、かなり集めたが、義朝横死の噂が伝わると皆逃げ散ってしまった。これまでと自害しようと思ったが、せめて清盛か重盛と相討ちになろうと心に決め、京へ向かった。

六波羅あたりで機会をうかがっていると、家人だった志内景澄と出会った。怒った義平は詰問するが、景澄は「源氏の世が戻るまで機会をうかがっていたのです」と弁解し、結局、協力することになり、義平は景澄の下人ということにされ、数日、暗殺の機会をうかがった。

だが、義平の風貌はとても下人風情とは見えずに不審がられ、宿舎の主人が二人の食事の様子をのぞき見ると下人のはずの義平が主の膳を景澄が下人の膳を食べていた。さてはと密告され、18日夜に難波経遠が300騎を率いて宿を取り囲んだ。義平は飛び出すや石切の太刀を抜いて4、5人を斬り捨てて逃げ去ってしまった[注釈 5]

その後、義平は近江国に潜伏するが、25日に石山寺に潜んでいたところを発見され、難波経房の郎党に生け捕られた。

義平は六波羅へ連行され、清盛の尋問を受けた。義平は「生きながら捕えられたのも運の尽きだ。俺ほどの敵を生かしておくと何が起こるかわからんぞ、早よう斬れ」と言ったきり、押し黙ってしまった。義平は六条河原へ引き立てられた。太刀取りは難波経房。「俺ほどの者を白昼に河原で斬るとは、平家の奴らは情けも物も知らん。阿倍野で待ち伏せて皆殺しにしてやろうと思ったのに、信頼の不覚人に従ったためできなんだのが悔やまれるわ」と憎まれ口を叩くと、経房へ振り向き「貴様は俺ほどの者を斬る程の男か?名誉なことだぞ、上手く斬れ。まずく斬ったら喰らいついてやる」と言った。「首を斬られた者がどうして喰らいつけるのか」と問うと、「すぐに喰らいつくのではない。になって蹴り殺してやるのだ。さあ、斬れ」と答えて義平は斬首された。享年20。それから8年後、難波経房は清盛のお伴をして摂津国布引の滝を見物に行った時、にわかに雷雨となり、雷に打たれて死んだという。
伝承
義平と青葉の笛の伝説

福井県大野市和泉地区には、義平が残したとされる青葉のがある。伝承によると、義平はその村の長の娘であるみつとの間に、一女を儲けている。その笛は現在は折れていて吹くことはできないが、子孫である朝日家に代々伝わっており今も大切に保管されていて,近年の研究では鎌倉時代より前に作られた笛の特徴があるとされている。
その他

岐阜県久津八幡宮社殿造立棟札が残っており、その中に「…伝え聞く、当国八幡宮は、源義平、保元年中に関東鶴岡より、ここに勧請する…」という記述や美濃の各地で見つかっている古文書には、保元年間(1156年 - 1159年)の義平の寄進状が見つかったこと、飛騨にも義平に関する伝承が幾つか(下呂市金山地域の義平のヒヒ退治の伝説等)あり、義平はこの地域を過去にも訪れていた可能性は高い。また平治の乱での挙兵の時には、武運を祈願して久津八幡宮に鶴岡八幡宮の御神体を祀った。
系譜

父:
源義朝

母:橋本の遊女または三浦義明の娘

正室:祥寿姫 - 源義重

女子:武田信光室 - 源義重養女


脚注[脚注の使い方]
注釈^埼玉県比企郡嵐山町)など、大蔵館の場所には諸説有る
^ 実際には信頼らは平家を打つ必要には迫られていなかった。近年の平治の乱に対する研究では、清盛は信西と姻戚であると同時に信頼の息子とも婚姻関係を結んでおり、後白河法皇や二条天皇をとりまく勢力や信西、藤原信頼などどの勢力から見ても中立な立場であるという見方が強まりつつあり、中立の立場にある清盛は信頼らの攻撃の対象ではなかったという見方もある[7]
^ この義平等の装束については金比羅本等の後出本『平治物語』には記載されているが、古態本には一切出てこない。
^ 古態本では朝長に信濃へ行くように命じた記載はない。
^ 古態本には志内景澄は登場しない。

出典^ 『源義平』 - コトバンク
^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 19頁。
^ 尊卑分脈
^ 清和源氏系図
^ a b 元木泰雄『保元・平治の乱をよみなおす』(NHKブックス)
^ 野口実『源氏と坂東武士』(吉川弘文館)
^ 元木泰雄「保元・平治の乱を読み直す」
^ 日下力「平治物語の成立と展開」

関連作品
テレビドラマ


新・平家物語』(1972年、NHK大河ドラマ、演:石川徹郎(少年期:高田直久))

平清盛』(1992年TBS、演:西村和彦

平清盛』(2012年、NHK大河ドラマ、演:波岡一喜

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平治の乱

平治物語


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