このほか、高知県高知市横浜東町には希義を祀った聖神社がある。
系譜
父:源義朝
母:由良御前 - 藤原季範娘
妻:平田継遠の娘?
生母不明
男子:源隆盛
後裔氏族
土佐吉良氏天正期に記された『吉良物語』によると、希義の遺児・源希望が頼朝に取り立てられ、吉良荘(現 高知県高知市春野町弘岡上周辺)を与えられたと伝えられている。その末裔が戦国時代の土佐七雄の1つの土佐吉良氏となったとされる。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 『尊卑分脈』には隆盛の名が見えるのみで、希望の記載はない。
^ 『尊卑分脈』はこの五名を隆盛の子息(希義の孫)として記載するが、『分脈』脇沢本・前田本・内閣文庫本においては隆盛の名が見えず、代わってこの五名を希義の子息とする。
^ 『平治物語』(岩波書店新古典大系所収)に「おじの朝忠に搦めとられ」とある。新古典大系の注釈に朝忠=範忠とある。
^ 『平治物語』(岩波書店新古典大系所収)には、まだ正式な「名」は無かったが名乗りがないと流刑にはできないので、流刑にする際「希義」という名が与えられた、と記されている。
出典^ a b c 『清?眼抄』永暦元年三月十一日条。
^ a b c d 『吾妻鏡』寿永元年9月25日条。『現代語訳吾妻鏡』第1巻114 - 115頁。
^ 『 ⇒春野町史』98頁。
^ 河内祥輔『頼朝の時代 : 一一八〇年代内乱史』(平凡社、1990年)
^ ⇒西養寺跡無縫塔(高知市ホームページ)。
参考文献
『清?眼抄』(せいかいがんしょう)永暦元年三月十一日条、鎌倉時代。
五味文彦・本郷和人『現代語訳吾妻鏡』第1巻、吉川弘文館、2007年。
春野町史編纂委員会編『春野町史』春野町発行、1976年。
『日本歴史大系 高知県の地名』(平凡社)高知市西養寺跡項
下石敬太郎「土佐国の治承寿永・内乱」(『古代文化』70巻1号、2018年)