源定
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

3月26日:美作守[4]

天長10年(833年) 8月25日:参議。11月1日:治部卿、美作守如故

承和元年(834年) 2月5日:中務卿

承和5年(838年) 正月13日:兼播磨守、中務卿如故

承和7年(840年) 8月8日:辞参議(淳和上皇服喪)、食封100戸

承和9年(842年) 7月:辞官(嵯峨上皇服喪)。9月:復本官

承和14年(847年) 正月12日:参議

承和15年(848年) 正月13日:兼尾張守

嘉祥2年(849年) 正月13日:中納言[4]。正月:辞官(母服喪)。3月:復本官

嘉祥3年(850年) 4月11日:帯剣。4月17日:正三位

仁寿2年(852年) 8月:兼右兵衛督、止中務卿[4]

仁寿3年(853年) 正月:兼左兵衛督[4]

斉衡4年(857年) 6月18日:辞左兵衛督[4]

天安2年(858年) 11月21日:右近衛大将

貞観元年(859年) 12月21日:大納言

貞観5年(863年) 正月3日:薨去正三位大納言右大将)、従二位

系譜

尊卑分脈』による。

父:嵯峨天皇

母:百済王慶命(百済王教俊の娘) - 尚侍

生母不詳の子女

男子:源包

男子:源宥

男子:源至

男子:源精

男子:源唱


脚注^ 『日本三代実録』貞観5年正月3日条の薨伝に記された没年齢49歳より逆算。
^ 源定 。コトバンク
^ a b 『日本三代実録』貞観5年正月3日条
^ a b c d e f 『公卿補任』

参考文献

森田悌『続日本後紀』(上下巻)、講談社講談社学術文庫〉、2010年

武田祐吉佐藤謙三訳『読み下し 日本三代実録 上巻』戎光祥出版、2009年

『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年

『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年

『国史大辞典 第13巻』吉川弘文館 国史大辞典編集委員会(編)ISBN 4642005137


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:13 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef