満洲民族
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17世紀に現在の中華人民共和国およびモンゴル国の全土を支配するを興した[5]清朝では、民族全体が八旗満洲語: ?????
????、転写: jak?n g?sa、八つの旗)に組織され(満洲八旗)、蒙古八旗漢軍八旗と呼ばれる主にモンゴル人や漢人によって構成された軍事集団八旗のメンバーとともに旗人とも呼ばれた。同系の民族にシベウデヘナナイウリチウィルタなどがある。中華人民共和国による民族識別工作では、蒙古八旗漢軍八旗も含む「旗人の末裔」全体が「満族」に「識別」(=区分)され、「55の少数民族」の一つとされた。2010年の中国の国勢調査では人口1,038万人とされ、「少数民族」としてはチワン族回族に次ぐ人口である[6][注釈 1]
概要福州の満洲民族(1915年)

「満洲」の漢字は満洲語の民族名?????、manju(マンジュ)の当て字で、元来は「満洲」であるが、現在の日本では一般に常用漢字をもって「満州」と表記することが多い[5]

満洲については「洲」の文字が含まれていることから、満洲民族の興った地域は、現在でも英語では満洲民族の土地という意味でマンチュリア(“Manchuria”)のように地域呼称として用いられ、これに対応して日本語でも「中国東北部」を指す広域地名「満洲(満州)」と呼ばれたり、国境の町「満洲里」など地域名称のイメージが強い。特に民族のことを指す場合は、満洲民族、満洲族、満洲人、満人などと表記する。しかし、中国語においてはあくまでも民族名であり、土地の名前ではない。満洲語においても "??????, manju" は専ら満洲族を指し、「満洲語 (??????
?????, manju gisun) 」、「満洲文字 (??????
??????, manju hergen)」なども「満洲人の言葉」「満洲人の文字」と解される。

民族名である 満洲/マンジュの起源については諸説あり、今のところ不明である。しばしば、サンスクリット語のマンジュシュリー(文殊師利、文殊菩薩のこと)に由来するともいわれるが[7]、元来は16世紀までに女真の名の下に括られていた人々のうち、建州女直[注釈 2]に属する5つの部族(スクスフ、フネヘ、ワンギャ、ドンゴ、ジェチェン)を一括する呼称であった[8]。日本の東洋史学者である岡田英弘は清朝時代のダライ・ラマが「マンジュと言われるからには、清朝皇帝は文殊菩薩の化身である」と宣伝したものを第6代皇帝の乾隆帝が政治的に利用したところから、文殊菩薩が民族名の由来となったという俗説が生まれたのではないかとしている[9]

現在の中華人民共和国のもとでは、モンゴル人・漢人の末裔の一部(旧「蒙古八旗」、旧「漢軍八旗」の末裔ら)と合わせて「満族」(M?nzu)としてひとくくりにされ、中華人民共和国の55の少数民族の一つと位置付けられている。1911年辛亥革命による清朝崩壊後は排斥を受けた過去を持ち、1949年に中華人民共和国が成立した後には他の少数民族と同じく区域自治権が与えられ、合計11の自治県がある(一覧は後述)。映画『ラストエンペラー』で知られる清朝最後の皇帝である溥儀や、戯曲『茶館』などの作品で有名な作家老舎も満洲人の出身である[6]
分布.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}永陵の四祖碑亭永陵の龍壁

満洲族は、かつて中国を支配した旗人の末裔であり、中国全土に散在する[5]。過半数は、遼寧省に居住しており[6]河北省吉林省黒竜江省内モンゴル自治区新疆ウイグル自治区甘粛省山東省にも分布し、北京天津成都西安広州銀川などの大都市やその他中小都市にも居住する。清朝前期の公文書や民間史料は満洲語だけで記されているが、人びとの満洲語に対する意識は薄れており、満洲語は危機に瀕している[6]。『朝日新聞』の報道によれば2013年時点で、中国国内で満洲語を解し、古文献も読めるレベルの学者は決して多くないという。一方で黒竜江大学中央民族大学、北京市社会科学院などをはじめとする大学・研究機関によっても満洲語に関する研究が行われている。満洲文字モンゴル文字を起源とするアルファベットであり、満洲文字を解すモンゴル族の研究者(哈斯巴特爾(ハスバートル)氏など)もおられる。日本でも有名な『論語』『孟子』『 詩経』『孫子兵法』など中国の伝統文化を代表する著作にも満洲語の訳本が存在し、満洲文字が漢文と併記されている。研究機関以外の場所で自学や授業を通じて満洲語を習得した学習者の人数を除いても、満洲語を解し、古文献を読むことができるレベルの学者が10名ほどに過ぎないのは疑わしい。[6]

清朝発祥の地といわれているのが、遼寧省の撫順市新賓満族自治県である[6]。しかし、そこにあっても満洲民族の小学校は1校しかなく、満洲族固有の姓を用いる児童もいない[6]。一方で、ヌルハチが城や寺を築いて最初の根拠地としたヘトゥアラ(?????
???、hetu ala、赫図阿拉)[注釈 3]、すなわち、同自治県の西方、永陵鎮老城村はヌルハチ即位の地であり、ヌルハチの祖先の陵墓である永陵があり、太陰暦4月18日に各地の満洲族が集まる祭礼の地となっている[11][注釈 4]

満洲民族の人口は清朝の時代には200万人ほどとされていたが、清朝滅亡後は迫害を恐れたため、続いて行われた中華民国初期の国勢調査で自らを満洲族としたのは約50万人にすぎなかったという。しかし、少数民族の権利が謳われるようになると、その人口は一気に500万人に増えたといわれている。
主要分布域満洲族の自治県シベ族の自治県
自治県・民族鎮・民族郷


自治県

満洲族には11の自治県がある。

遼寧省

新賓満族自治県

清原満族自治県

岫岩満族自治県

寛甸満族自治県

本渓満族自治県

桓仁満族自治県


吉林省

伊通満族自治県


河北省

青竜満族自治県

寛城満族自治県


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