満洲民族
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歴史
古代の記録

文献上によれば、狩猟民と称さるそれ製のを、あるいは以降、物産といった。(はく)という民族もあったが[13]戦国時代から代にかけての漢民族の進出と楽浪郡前108年設置)以下4郡の設置という動きのなかで、貊のなかから夫余が起こった[13]

粛慎( -

夫余 - 南北朝時代

?婁後漢 - 三国時代

勿吉(南北朝時代)

靺鞨 -

高句麗を建国したのも韓族ではなく、貊族であった。7世紀末葉、粟末靺鞨に高句麗の遺民を加え、南満洲から現在の朝鮮半島北部にかけての地に、「海東の盛国」と称された渤海が建国された[5][13][注釈 5]
金王朝と女真族「女真」および「金 (王朝)」も参照女真文字[注釈 6]1142年における女真族王朝「金」と周辺諸王朝
南宋)は漢民族王朝、西夏はチベット系タングートの王朝、大理はチベット系ペー族の王朝

半農半猟の女真族が完顔阿骨打(ワンヤン・アクダ)[15][注釈 7]により統一された。女真は、靺鞨七部のうち、黒水靺鞨と呼ばれた集団だと考えられる[16]。金は、渤海を滅ぼしたモンゴル系契丹族による遊牧民王朝のを滅ぼし、さらに1126年漢民族王朝の徽宗欽宗のニ帝および皇族・重臣らを捕らえて中国北半を支配し、燕京(いまの北京市)に都を移して宋朝を南へと追いやった[5][17]。体系を整備し、政府組織を中央、地方ともに中国風にして支配体制を整えたが、軍事権力を強く握って独占したのは女真族であり、政府首脳もまた女真族によって占められた[5][17]。女真人には行政と軍事を兼ねたミンガン・ムクンの制度などがとられ特別の保護を受けた[17]。東北部(満洲)にあっては大部分が猛安・謀克制によって統治されたが、他民族の住む西部や南部では州県制が採用された[17]

金はしかし、1206年チンギス・カンによって成立したモンゴル帝国の猛攻を受けて劣勢に立ち、都を開封に移したものの1232年にはその開封が包囲された[18]。そして、1234年オゴデイらの進撃により、逃走していた哀宗が自殺して金は滅んだ[5][17][18]。一方、これに先立って、契丹の反乱鎮圧を称して挙兵していた金王朝の将の蒲鮮万奴は、1215年に金より自立して「天王」を名乗り、東夏国(大真国)を建国していた[18]。東夏は、モンゴルに服属したり自立したりを繰り返していたが、この国もまた、1233年、オゴデイの子のグユクによって滅ぼされた[17][18]

女真族は、金がモンゴル帝国に滅ぼされてからのちは、モンゴル帝国、大元大明の支配下に置かれた[17][19]。その間、金の時代に創始した女真文字もしだいに失われ、金建国以前の部族集団に後退した[19]。当時の女真族の家族は、主人と奴婢に完全に二分されており、主人は狩猟や採集、交易、戦争などの外仕事、奴婢は農耕やブタの飼養など食糧生産を担当するという分業体制が確立していた[20]。その役割は固定し、世襲されていったが、代々起居や食事をともにし、双方の物産・物資は分け隔てなく均等に分配されたから、両者の結びつきはきわめて緊密であった[20]。東北部に残留した女真(女直)は、元代には遼陽等処行中書省の管轄下に入ったが、その統制はゆるやかなもので、ほぼ完全な自治がゆるされていた[21]。代からにかけて人は、半島族の下にあった[8][17][注釈 8]
女真族から満洲族へ満洲文字(右)と漢字(左) 紫禁城(北京)乾清門の額

とりわけながら中国本土に相対的に近い建州女直からスクスフ部の有力な氏族だった英傑で拡大した[17]。ヌルハチの支配する領域は、一方では「マンジュ国」(?????
?????, manju gurun, 満洲国)と称されるようになったが、マンジュ国がさらに海西女真四部(マンジュ政権からは「フルン四部」)、野人女真四部(同じく「東海四部」)を統合していく過程で、「マンジュ」が広く女真全体の総称として用いられるようになった[8]


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