満洲の歴史
箕子朝鮮東胡?貊
沃沮粛慎
燕遼西郡遼東郡
秦遼西郡遼東郡
前漢遼西郡遼東郡衛氏朝鮮匈奴
漢四郡夫余
後漢遼西郡烏桓鮮卑?婁
遼東郡高句麗
玄菟郡
魏昌黎郡公孫度
遼東郡
玄菟郡
西晋平州
慕容部宇文部
前燕平州
前秦平州
後燕平州
北燕
北魏営州契丹庫莫奚室韋
東魏営州勿吉
北斉営州
北周営州
隋柳城郡靺鞨
燕郡
遼西郡
唐営州松漠都督府
満洲地方には、ツングース系、モンゴル系、扶余系など多くの国や民族が勃興し、あるいは漢民族王朝が一部を支配下に置いたり撤退したりしていた。土着民族として?貊・粛慎・東胡・?婁・夫余・勿吉・靺鞨・女真などが知られるが、その来歴や相互関係については不明な点が多い[15]。満洲南部から朝鮮半島の一部にかけては遼東郡、遼西郡が置かれるなど、中華王朝の支配下にあった時期が長い。土着民族による国家としては高句麗、渤海国、女真族(後の満州族)の金、後金(清)などが知られる。モンゴル系であり東胡の子孫とされる鮮卑族による前燕などや鮮卑の子孫とされる契丹族による遼が支配した事もある。チベット系の?族の立てた前秦の支配が及んだ事もある。12世紀以降、金、元、明、清と、首都を中国本土に置く、あるいは移した王朝による支配が続いていた。清朝の中国支配の後、満洲族の中国本土への移出が続き満洲の空洞化が始まった。当初清朝は漢人の移入によって空洞化を埋めるべく1644年(順治元年)より一連の遼東招民開墾政策を実施した[16]。この開墾策は1668年(康熙7年)に停止され、1740年(乾隆5年)には、満洲は後金創業の地として本格的に封禁され、漢人の移入は禁止され私墾田は焼き払われ流入民は移住させられていた(封禁政策)。