しかし1937年11月29日にイタリアが満洲国を承認[9]。続いて同年12月2日にフランコ体制下のスペイン、[10]1938年5月12日にはドイツ[11]さらにタイ王国などの第二次世界大戦の日本の同盟国や友好国、枢軸陣営寄りの中立国や、エルサルバドルやポーランド、コスタリカなどの後の連合国の構成国も満洲国を承認した。さらに国境紛争をしばしば引き起こしていたソビエト連邦をも領土不可侵を約束して公館を設置した[12]。またイギリスやアメリカ合衆国、フランスなど国交を樹立していなかった国も国営企業や大企業の支店を構えるなど、人的交流や交易をおこなっていた。
第二次世界大戦末期の1945年(康徳12年)、日ソ中立条約を破った赤軍(ソ連陸軍)による関東軍への攻撃と、その後の日本の降伏により、8月18日に満洲国皇帝・溥儀が退位して満洲国は滅亡。満洲地域はソ連の占領下となり、その後国共内戦で中国国民党と中国共産党が争奪戦を行い、最終的に1949年に建国された中華人民共和国の領土となっている。
@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}日本では通常、公の場では「中国東北部」または注釈として「旧満洲」という修飾と共に呼称する。[要出典]
国名[ソースを編集]ウィキソースに国号ヲ満洲国トナスヲ?告ノ件の原文があります。ウィキソースに本国国名英文制定ノ件の原文があります。
1932年(大同元年)3月1日の満洲国?告1により、国号は「滿洲國」と定められている。この国号は、1934年(康徳元年)3月1日に溥儀が皇帝に即位しても変更されなかった。ただし、法令や公文書では「満洲国」と「満洲帝国」が併用された[13]。帝制実施後の英称は正称が「Manchoutikuo」または「The Empire of Manchou」、略称が「Manchoukuo」または「The Manchou Empire」と定められた[14]。
歴史[ソースを編集]
満洲の歴史
箕子朝鮮東胡?貊
沃沮粛慎
燕遼西郡遼東郡
秦遼西郡遼東郡
前漢遼西郡遼東郡衛氏朝鮮匈奴
漢四郡夫余
後漢遼西郡烏桓鮮卑?婁
遼東郡高句麗
玄菟郡
魏昌黎郡公孫度
遼東郡
玄菟郡
西晋平州
慕容部宇文部
前燕平州
前秦平州
後燕平州
北燕
北魏営州契丹庫莫奚室韋
東魏営州勿吉
北斉営州
北周営州
隋柳城郡靺鞨
燕郡
遼西郡
唐営州松漠都督府饒楽都督府室韋都督府安東都護府渤海国黒水都督府靺鞨
五代十国営州契丹渤海国靺鞨
遼上京道 東丹女真
中京道定安
東京道
金東京路
上京路
東遼大真国
元遼陽行省