満州国
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しかし後世においては、実質的に日本の関東軍が占領した日本の植民地であり[6]傀儡国家[7]であったとする見解が一般的である。

満洲国は建国以降、日本、特に関東軍と南満洲鉄道の強い影響下にあり、「大日本帝国と不可分的関係を有する独立国家」と位置付けられていた[8]。当時の国際連盟加盟国の多くは満洲地域は法的には中華民国主権下にあるべきとした。このことが1933年(昭和8年)に日本が国際連盟から脱退する主要な原因となった。

しかし1937年11月29日にイタリアが満洲国を承認[9]。続いて同年12月2日にフランコ体制下のスペイン[10]1938年5月12日にはドイツ[11]さらにタイ王国などの第二次世界大戦の日本の同盟国や友好国、枢軸陣営寄りの中立国や、エルサルバドルポーランドコスタリカなどの後の連合国の構成国も満洲国を承認した。さらに国境紛争をしばしば引き起こしていたソビエト連邦をも領土不可侵を約束して公館を設置した[12]。またイギリスアメリカ合衆国フランスなど国交を樹立していなかった国も国営企業や大企業の支店を構えるなど、人的交流や交易をおこなっていた。

第二次世界大戦末期の1945年康徳12年)、日ソ中立条約を破った赤軍(ソ連陸軍)による関東軍への攻撃と、その後の日本の降伏により、8月18日に満洲国皇帝・溥儀が退位して満洲国は滅亡。満洲地域はソ連の占領下となり、その後国共内戦中国国民党中国共産党が争奪戦を行い、最終的に1949年に建国された中華人民共和国の領土となっている。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}日本では通常、公の場では「中国東北部」または注釈として「旧満洲」という修飾と共に呼称する。[要出典]
国名ウィキソースに国号ヲ満洲国トナスヲ?告ノ件の原文があります。ウィキソースに本国国名英文制定ノ件の原文があります。

1932年大同元年)3月1日の満洲国?告1により、国号は「滿洲國」と定められている。この国号は、1934年康徳元年)3月1日に溥儀が皇帝に即位しても変更されなかった。ただし、法令や公文書では「満洲国」と「満洲帝国」が併用された[13]。帝制実施後の英称は正称が「Manchoutikuo」または「The Empire of Manchou」、略称が「Manchoukuo」または「The Manchou Empire」と定められた[14]
歴史


満洲の歴史
箕子朝鮮東胡?貊
沃沮粛慎
遼西郡遼東郡
遼西郡遼東郡
前漢遼西郡遼東郡衛氏朝鮮匈奴
漢四郡夫余
後漢遼西郡烏桓鮮卑?婁
遼東郡高句麗
玄菟郡
昌黎郡公孫度
遼東郡
玄菟郡
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前秦平州
後燕平州
北燕
北魏営州契丹庫莫奚室韋
東魏営州勿吉
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燕郡
遼西郡
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五代十国営州契丹渤海国靺鞨
上京道 東丹女真


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