湖西線
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元々、浜大津駅 - 近江今津駅間に地元資本による江若鉄道が開業しており[注 6]、路線計画時にほぼ並行する形のこの江若鉄道の扱いが問題となった。最終的に江若鉄道は廃止し、その路盤を買い上げて転用することで決着したが、競合路線の買い上げ救済が真の目的[注 7]であって実際の転用率は低かった[注 8]。江若鉄道は1969年10月限りで鉄道事業を廃止後、江若交通に社名変更している。

開業前には堅田駅と近江今津駅で貨物営業を行う計画がありそのための用地買収にも至ったが、沿線での貨物需要が相当量に達しないと判断され行わないよう計画変更された[19]。開業後は貨物列車は全駅通過か運転停車のみで運転されている。貨物側線用地は保守用基地などに利用されている。計画時は東海道本線の線路容量が限界になるとの予測により、山科駅から奈良線木幡駅新田駅片町線長尾駅・鳥飼を経由して吹田操車場に至る42.1 kmの新線計画があり[20]、貨物列車を新設の長尾操車場に運転する計画であった。そのため、山科駅は西側も分岐できる構造になっている。しかし新線は国鉄の財政事情悪化により計画が中止された。

関西対北陸の優等列車の湖西線経由への移行は開業翌年の1975年3月10日となったが、これは湖西線の開業当時山陽新幹線がまだ岡山駅までしか開業しておらず、翌年の博多駅への延伸開業まで移行を見合わせていたためである。最終的に急行「きたぐに」と「ゆのくに」を残し、あとはすべて湖西線経由へ移行した。

開業時より全線が電化されているが、当時近江塩津駅は交流電化であったため、近江塩津駅 - 永原駅間に交直セクションが設けられ、直流電車を使用する新快速や普通列車は永原駅 - 山科駅間の運行に限られていた。2006年に北陸本線敦賀駅 - 米原駅間とともに近江塩津駅 - 永原駅間の直流化工事が完成して、湖西線内は全て直流電化となり、湖西線を経由する新快速が敦賀駅から運転されるようになった(詳細は「直流化工事」の節を参照)。

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の影響で、直流電動機に使用している電動機用黒鉛ブラシを製作しているメーカーが被災して製造の見通しが立たず[21][22]、使用できない車両が発生する恐れが生じた。このため、同年4月11日から日中の一部の京都駅 - 堅田駅・近江舞子駅間の普通の運転を取り止める予定と発表されたが[23]、部品調達の目処が立ったのでこの措置は行われず、4月11日以降も通常のダイヤで運転されることになった[24]
年表
湖西線の開業まで

1922年大正11年)4月11日:浜大津 - 三宅(現在の小浜線上中駅)間が国鉄予定線に編入[2]

1962年昭和37年)5月31日:浜大津 - 塩津間が国鉄調査線となる[2]

1964年(昭和39年)6月25日:鉄道建設審議会にて山科 - 沓掛間を工事線に編入すると答申[25]

1966年(昭和41年)12月28日:山科 - (仮称)北大津(現在の大津京駅)間、近江今津 - 近江塩津間が第一次認可[25]

1967年(昭和42年)1月12日皇子山総合運動公園で湖西線起工式を開催[2]

1969年(昭和44年)11月1日:江若鉄道線浜大津駅 - 近江今津駅間が廃止[2]

1974年(昭和49年)6月13日:列車集中制御装置 (CTC) が導入[26][27]

湖西線開業後

1974年(昭和49年)

7月20日:山科駅 - 近江塩津駅間 (74.1 km) が開業。新快速が堅田駅まで9往復、普通が23往復、臨時列車が12往復、近江今津駅 - 敦賀駅間で3往復[28]。ほかに臨時列車として新快速が近江今津駅まで延長される日や、大阪駅から近江今津駅までの快速が運行される日もあった。

10月1日:湖西線で貨物列車が運転開始[29]


1975年(昭和50年)3月10日:大阪駅 - 北陸・東北間の特急と急行「立山」が湖西線経由となる[2][注 9]

1985年(昭和60年)11月26日381系電車による高速試験で日本の在来線の最高速度記録である179.5 km/hを記録[30]。これは現在も破られていない。

1986年(昭和61年)11月1日:新快速が線内各駅停車になり、近江舞子駅まで定期列車としての運転区間を延長。

1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継[2]。日本貨物鉄道が全線の第二種鉄道事業者となる[2]

1988年(昭和63年)12月4日:小野駅開業[16]

1989年平成元年)3月11日:新快速の近江今津駅への臨時延長運転がいったん廃止。京都寄りでは113系4両編成による普通列車が増え、永原駅 - 近江今津駅間で3往復増発。

1991年(平成3年)9月14日:北陸本線長浜駅 - 米原駅間直流電化に伴う車両運用変更により、近江塩津駅 - 永原駅間を跨ぐ普通列車が気動車から交直両用電車に変更[2]。近江塩津駅 - 近江今津駅間を平均約10分短縮したほか、近江塩津駅構内配線変更により長浜方面との直通列車が運転開始。

1994年(平成6年)9月4日:叡山駅が比叡山坂本駅に改称[16]

1996年(平成8年)3月16日:新快速を再び近江舞子駅 - 京都駅間で快速運転に戻し、運転区間を近江今津駅(1往復のみ永原駅)からに延長。朝ラッシュ時に敦賀発近江今津行きの普通と接続する同駅始発大阪行き快速を1本新設し、こちらは新快速よりさらに停車駅を削減[注 10]。そのため臨時延長運転以来長く続けられてきた比良駅と志賀駅が通常の新快速停車駅から外される。207系電車が湖西線に初めて乗り入れる(同年7月20日で廃止)。

1997年(平成9年)3月8日:夕方18時台の京都発永原行き普通1本が快速(停車駅は新快速と同じ)に変更され、大阪方面からの新快速と接続。

1999年(平成11年)2月26日:小野駅 - 山科駅の各駅が「Jスルーカード」の利用エリアになる。

2002年(平成14年)

3月23日:近江舞子駅 - 和邇駅の各駅が「Jスルーカード」の利用エリアになる。雄琴駅(現・おごと温泉駅)が快速の停車駅になる。

12月2日女性専用車が導入される[31][32]


2003年(平成15年)

10月1日:コンコースの喫煙コーナーが廃止[33]

11月1日:近江舞子駅 - 山科駅の各駅でICカード「ICOCA」導入。


2004年(平成16年)10月16日:朝の新快速1往復が運転区間を永原駅からに延長、これで永原駅発着の新快速は2往復となる。


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