渡辺謙
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日本国外映画初出演となったアメリカ映画『ラスト サムライ』(2003年公開)で、渡辺は同年度の第76回アカデミー賞助演男優賞ならびに第61回ゴールデングローブ賞 助演男優賞第30回サターン賞 助演男優賞にノミネートされる等高い評価を得る[2]。これを機にロサンゼルスに居を構え、『バットマン ビギンズ』や『SAYURI』など日本国外映画に立て続けに出演。当初通訳を要していた英会話に関しても猛勉強の末、殆どの会話を自らこなしている(現地での生活ぶりや英語学習の様子は「AERA English」に掲載された)。2005年には、米国の『タイム誌』の表紙にグラビアが掲載されたり、『ピープル誌』が企画する「最もセクシーな外国人男性」の1人に選出された。

日本映画では2006年に、荻原浩の小説『明日の記憶』映画化作品で映画初主演[3]。同作品の映画化に当たっては各映画会社の駆け引きがあり、渡辺を含む複数の日本を代表する大物俳優達が候補に挙がったが、自らも闘病経験があり原作に人一倍の共感を持てた渡辺が、荻原に映画化を熱望する旨の手紙を直接送付したことで(荻原は最初誰かの悪戯だと思ったが、紛れもなく渡辺本人からのものだと知り仰天したという)、渡辺の主演で映画化された。白血病の発症以降、患者役や医療関係者役、難病を扱った作品は避けてきたが、この作品で若年性のアルツハイマー病に冒されていくという主人公を演じている。また、映画公開と同じ時期に発表した自らの著書『誰? - WHO AM I?』で、かつて白血病の治療中頻繁に受けた輸血(主に血小板輸血)が原因でC型肝炎ウイルスに感染し、『明日の記憶』の撮影はその治療の副作用に悩まされながら敢行していたことを告白。現在は急性骨髄性白血病・C型肝炎ウイルス感染ともに問題のない良好な状態を保っているという。更にこの作品で初めてエグゼクティブ・プロデューサーを兼任[4]。映画の普及とアルツハイマー病への理解を促進するため全国各地を奔走した(ただし、渡辺本人は「自分はプロデューサーというよりも『イントロデューサー(紹介者)』である」と述べている)。

2006年には、クリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』に、栗林忠道役で日本国外映画初主演。他の主要日本人キャストはオーディションの末選出されたが、渡辺だけは監督から直接出演要請があった。外国語映画賞を受賞したゴールデングローブ賞の授賞式において、壇上のクリント・イーストウッド監督は「偉大なるケン・ワタナベに敬意を表したい」と渡辺に言葉を贈った。

2007年2月25日(現地時間)、第79回アカデミー賞授賞式に出席し、カトリーヌ・ドヌーヴと2人で非英語圏の俳優代表として舞台に立ち、賞が設定されて50周年を迎えた外国語映画賞の歴史を紹介した[5][6]

2008年2月に撮影開始された映画『ダレン・シャン』にも、サーカスのオーナー、Mr.トールで出演。また、『バットマン ビギンズ』で仕事をしたクリストファー・ノーラン 監督の新作サスペンス『インセプション』で再び起用されている。

2009年10月、山崎豊子原作の映画『沈まぬ太陽』に恩地元役で主演し、第33回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、第34回報知映画賞主演男優賞を受賞。映画公開初日の舞台挨拶にて作品・撮影の厳しさを語り、男泣きした。

2014年には、『GODZILLA ゴジラ』にメインキャストの一人として出演。この作品の中で「ガッズィーラ」という英語の発音を頑なに拒否し、「ゴジラ」と日本語の発音にこだわったとインタビューに答えている[7][8][9][10]

韓国の釜山国際映画祭では日本人として初めて開幕式の司会をした[11]

2015年、ミュージカル『王様と私』でトニー賞・ミュージカル部門主演男優賞にノミネートされる[12][13][14]


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