渡辺徹_(俳優)
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渡辺 徹(わたなべ とおる、1961年昭和36年〉5月12日 - 2022年令和4年〉11月28日[1]) は、日本俳優歌手タレント司会者。劇団文学座所属。身長180 cm血液型はA型。
来歴

栃木県小山市にて、流しのアコーディオン弾きの子として出生[2][3]。生後3か月で、茨城県古河市に引っ越した[2][注釈 1]。父親の職業は“流し”で、様々な盛り場を流して歩いてお金をもらう職業のため定住をしなかった[2]。母親は茨城の古河の食堂の看板娘[2]。渡辺の記憶にある最初の家は古河の6棟の三軒長屋で、安普請の六畳間と四畳半の台所の二間だった[2]。幼稚園の年長の時に同じ古河市内の松原町から小砂町へ引っ越した[2]

子供の頃はケンカばかりの毎日だった[2]。当時の古河市はサッカーが盛んで、渡辺も小学3年生からサッカーを始めた[2]。茨城県古河市立古河第一中学校卒業。同級生に物理学者になる大槻東巳がいた。茨城県立古河第三高等学校卒業。高校在学中は生徒会長を務める。

1980年、文学座附属演劇研究所本科に入所、翌年、同研究所本科を卒業して文学座研修科の研究生となる。

1981年、人気テレビドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ)の通称名・ラガー(竹本淳二)刑事役でデビュー(1985年まで出演)。1982年EPICソニーから『彼〈ライバル〉』で歌手デビュー。同年発売のセカンドシングル『約束』は、グリコアーモンドチョコレート」のCMソングとなり大ヒット。また、彼の代表曲のひとつでもある。1983年、『夜明けのランナー』(東宝) で映画デビュー。

1984年、キリン生AのCMジャッキー・チェンと共演し、武道館のイベントに出席する。

1985年、文学座座員となる。

1987年10月14日、日本テレビ系『風の中のあいつ』『気になるあいつ』で共演した榊?原郁恵と結婚。披露宴の模様は同局系列で生中継された。

2014年4月より淑徳大学人文学部表現学科客員教授を務めた。2019年より城西国際大学メディア学部特任教授を務めた。

2019年に茨城県で開催された第74回国民体育大会(いきいき茨城ゆめ国体)では総合開閉会式の総合司会を務めた[5]

2022年11月28日午後9時01分、敗血症のため死去[1][6]。61歳没。
経歴
俳優として

1980年高校卒業後、文学座の研究所に合格、同じく文学座出身の第二の中村雅俊として売り出す。文学座に入って間もなく、テレビドラマ太陽にほえろ!』(日本テレビ)の新人刑事役に抜擢され、一躍人気を獲得した。この頃はドラマ出演の他にも、ポピュラー歌手としてレコードを何枚もリリースし、歌番組CMに出演するなどもしていた。1985年には正式に文学座座員となり、演劇以外の仕事もこなす中、終生所属を続けた。

俳優としては、1998年のNHK大河ドラマ徳川慶喜」において倒幕に向け、次々とあくどい所業を企て実行してゆく西郷隆盛を威厳と貫禄十分に演じ切って見せた。また、本来「文学座」の所属俳優ということから、多忙な中でも年に1?2本のペースで彼の原点である劇団公演を中心に舞台に立ち続けていた。
司会者・マルチタレントとして

また、司会者マルチタレントとしても活動していた。

特に司会者としては、三田佳子芳村真理野際陽子和田アキ子上沼恵美子山田邦子といった女性タレント達のサポート役を歴任し、メイン司会者を立てつつ自らの存在感も同時に発揮する独特の司会術を持ち合わせている。近年は後進の育成指導にあたるほか、ナレーター業やまれにドラマの脇役等も含めゲスト出演する程度となっていた。

ラジオではNHKFMおしゃべりクラシック』のパーソナリティを8年務め、クラシックコンサートなどにも出演していた。ほかにも学校法人和光学園の理事や大学教員を務めるなど、活動の幅が広い。
闘病生活?死去

若い頃は1日6000kcalを摂取するのも当たり前の大食漢だった。こうした影響もあり、30歳で急性糖尿病を発症。1990年代以降、急激なダイエットやリバウンドを何度も繰り返しながらたびたび病気との戦いを迎える。2012年の虚血性心疾患の他、2013年には膵炎で入院し、2021年5月に大動脈弁狭窄症の手術を受け[7]、同年7月11日には体が優れないまま活動を再開している[8]。晩年は優れず、糖尿病を起因とする慢性腎不全のため、週3回の人工透析を受けていた[9]

2022年11月19日、「心臓病とともに元気に生きる」をテーマにした秋田大学医療フォーラムにオンライン対談(テレワーク)で出演したのが生前最後の仕事となった[10]。体調を崩したまま当日から発熱が見られたため、検査で新型コロナウイルスは陰性判定であったものの、念のため会場に登壇せず別室からZOOMによるオンラインでの出演に切り替えていたという[11]。帰京後、翌20日に発熱や腹痛などの症状で都内の病院で検査を受け、細菌性胃腸炎と診断され入院。その後容態が悪化して敗血症となり、人工呼吸器やECMOを装着されて集中治療を受けていたが、同年11月28日21時1分、死去した。訃報は同年12月2日に公表されている[9][12][13][14]

12月5日、東京都内の斎場で長男の裕太を喪主として家族葬が営まれ、その後荼毘に付された。同日、ホリプロ事務所で榊原郁恵と渡辺裕太が揃って会見し、郁恵は「お足元悪い中、世の中がサッカーで盛り上がっている中で、渡辺徹のことで集まって頂き、家族としてすごくうれしいです。話題にしてもらって、渡辺徹のことをああだこうだ言ってもらえることは、それを見て『渡辺徹は偉大だったんだな』と思います。まずは感謝しております」と語った[15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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