後に再上京し、1956年に高校時代の同級生で、新東宝でプロデューサーを担当していた笠根壮介(宮川一郎)を通じて、『人形佐七捕物帳 妖艶六死美人』(新東宝)で初めて映画音楽を手がける[6][2][5]。1958年にJASRACに入会[8]。1950年代後半から1960年代にかけては、新東宝の作品を出発点に多数の映画音楽を作曲。1967年、渡辺貞夫からジャズの理論を学び[5]、作曲・編曲に大きな影響を受ける。
1970年代には特撮やアニメの人気番組の音楽を担当し、トランペット、トロンボーン、エレキギター、エレキベース、ドラム、ティンパニを主体とした特徴ある音楽を子供たちに印象付けた。モーグ・シンセサイザーのミニモーグ(英語版)を初期に購入し、特に『マジンガーZ』の挿入歌「Zのテーマ」では、ビヨンビヨンという一見してコミカルに聞こえる音色を低音でシリアスな場面の音楽で活かす手法は当時斬新だった。
後に、民族音楽的合唱曲『恐山』を作曲、LP化され、芸能山城組を一躍有名にした。
水島新司原作の『野球狂の詩』では、主題歌やサウンドトラックの作曲を担当し、堀江美都子のヴォーカルにより、ヒットを放つ。
1980年代に入るとシンセサイザーのシーケンサー機能による自動演奏も取り入れ[2]、『電子戦隊デンジマン』の主題歌「ああ電子戦隊デンジマン」のイントロ部分では高速な電子音のパッセージ、『大戦隊ゴーグルファイブ』主題歌終盤での鋸状波の長い上行グリッサンド、『スパイダーマン』や『バトルフィーバーJ』などのAltSoundによるシンセパーカッションフレーズなどを効果的に使用した。