渡辺宙明
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幼少期に観た『未完成交響楽』や『オーケストラの少女』などの楽曲や、中学校時代にアメリカ映画の影響を受けて音楽に興味を持ち、また転入した府立三中(現・都立両国高校)時代の友人から影響を受けて独学でハーモニカを吹くようになるなどし、次第に映画音楽の作曲家を志すようになった[4][2][5]。第二次大戦後、旧制第八高等学校を卒業後、東京大学文学部心理学部に入学[5]。東大在学中より團伊玖磨に、大学院在籍中より諸井三郎に師事し、習作をこのころより書く[6][4][2][5]。その後、父親の死去により名古屋市へ帰郷し、1953年の中部日本放送ラジオドラマ『アトムボーイ』の音楽を手がけ[6][2]、作曲家としての活動を始める[7][4][5]

後に再上京し、1956年に高校時代の同級生で、新東宝でプロデューサーを担当していた笠根壮介(宮川一郎)を通じて、『人形佐七捕物帳 妖艶六死美人』(新東宝)で初めて映画音楽を手がける[6][2][5]1958年JASRACに入会[8]1950年代後半から1960年代にかけては、新東宝の作品を出発点に多数の映画音楽を作曲。1967年渡辺貞夫からジャズの理論を学び[5]、作曲・編曲に大きな影響を受ける。

1970年代には特撮アニメの人気番組の音楽を担当し、トランペットトロンボーンエレキギターエレキベースドラムティンパニを主体とした特徴ある音楽を子供たちに印象付けた。モーグ・シンセサイザーのミニモーグ(英語版)を初期に購入し、特に『マジンガーZ』の挿入歌「Zのテーマ」では、ビヨンビヨンという一見してコミカルに聞こえる音色を低音でシリアスな場面の音楽で活かす手法は当時斬新だった。

後に、民族音楽的合唱曲『恐山』を作曲、LP化され、芸能山城組を一躍有名にした。

水島新司原作の『野球狂の詩』では、主題歌サウンドトラックの作曲を担当し、堀江美都子のヴォーカルにより、ヒットを放つ。

1980年代に入るとシンセサイザーシーケンサー機能による自動演奏も取り入れ[2]、『電子戦隊デンジマン』の主題歌「ああ電子戦隊デンジマン」のイントロ部分では高速な電子音のパッセージ、『大戦隊ゴーグルファイブ』主題歌終盤での鋸状波の長い上行グリッサンド、『スパイダーマン』や『バトルフィーバーJ』などのAltSoundによるシンセパーカッションフレーズなどを効果的に使用した。


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