渋谷駅
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1927年(昭和2年)8月28日:東京横浜電鉄(現・東急)東横線が開業[7][8][9]。島式ホーム1面2線で、2両分を有する高架駅[7][8][9]。
1933年(昭和8年)
8月1日:帝都電鉄渋谷線(現・京王井の頭線)が開業[10][11]。
10月:東横百貨店(後の東急百貨店東横店東館)の建設に着手[9]。
1934年(昭和9年)
4月21日:駅前に忠犬ハチ公像(初代)が設置される(1944年8月に金属供出)[7]。
11月1日:東横線渋谷駅に東横百貨店(旧:東横店東館)が開業[7][12][8]。
1935年(昭和10年)2月:東横線ホームの横浜寄りを切欠きにして1面3線化[7][8]。
1938年(昭和13年)12月20日:東京高速鉄道(現・東京メトロ銀座線)が開業[10]。玉電ビル(旧:東横店西館の4階以下)」が完成し、3・4階を銀座線渋谷駅として使用を開始[7][12]。
1939年(昭和14年)6月1日:玉電渋谷駅が玉電ビル2階に移転[12]。
1940年(昭和15年)
5月1日:帝都電鉄が小田原急行鉄道に合併し、同社帝都線の駅となる[13]。
7月:山手線ホームが2面2線となる[14]。
1941年(昭和16年)
7月:東横線の駅の改良工事に着手[9]。
9月1日:陸上交通事業調整法により、東京高速鉄道の駅が帝都高速度交通営団(営団地下鉄)の駅となる[12]。
1942年(昭和17年)5月1日:小田急電鉄が東京急行電鉄(大東急)に併合される[13]。
1945年(昭和20年)5月25日:空襲により、東横線のホーム上屋と東急百貨店が全焼する[9]。
1948年(昭和23年)
6月1日:東急から京王帝都電鉄が分離し、同社井の頭線となる[13]。
8月15日:駅前に忠犬ハチ公像(2代)が設置される[7]。
1949年(昭和24年)4月25日:東横線の駅の改良工事を再開[9]。
1950年(昭和25年)8月1日:東横線ホームが3面3線に改築される(第一期工事が竣功)[7][8][9]。
1951年(昭和26年)
8月25日:空中遊覧ケーブルカー「ひばり号」を設置[7][12][9]。なお、その後1953年(昭和27年)8月に玉電ビル(西館)の増築のため撤去されている。
10月27日:日本初の名店街として東横百貨店東館1階に「東横のれん街」が開業[7][12]。
10月30日:東横線の改札口を2階に移設し、正面階段を拡幅(第二期工事が竣功)[9]。
1954年(昭和29年)
11月17日:玉電ビルが増築し、11階建ての「東急会館(旧:東横店西館)」が完成(同時に玉電ビルから東急会館へと改称)[7][12][9]。
11月20日:「東急会館(旧:東横店西館)」が営業開始[9]。
1955年(昭和30年)12月27日:都営トロリーバスが渋谷駅に乗り入れ。
1957年(昭和32年)3月26日:都電の渋谷駅前停留所が東口に集約され、ループ線上のターミナルになる[7]。
1960年(昭和35年)4月28日:井の頭線渋谷駅ビルが竣工[15]。
1961年(昭和36年)5月1日:東横線の駅改良工事に着手する[9]。
1964年(昭和39年)4月16日:東横線ホームが4面4線に改築される[7][8][9]。
1968年(昭和43年)
3月31日:都営トロリーバスの渋谷駅への運行が廃止。
9月29日:都電青山線が廃止。
1969年(昭和44年)
5月10日:東急玉川線が廃止[10]。
10月26日:都電天現寺橋線が廃止。渋谷駅を経由する軌道線(路面電車)が全廃となる。停留所は東口バスターミナルへ転用。
1971年(昭和46年)7月1日:旅行センター開業[16]。
1977年(昭和52年)4月7日:東急新玉川線(現・田園都市線)開業[10][17]。同線のホームは大部分は営団が建設したものの[17]、駅業務は東急が担当。
1978年(昭和53年)8月1日:営団地下鉄半蔵門線の当駅 - 青山一丁目間が開業し、東急新玉川線と直通運転を開始。
同日付をもって、東急新玉川線・営団地下鉄半蔵門線の駅業務が東急から営団に移管。
1980年(昭和55年)10月1日:国鉄駅での貨物取り扱いを廃止[6]。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、国鉄の駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅(山手線所属)となる。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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