渋谷区
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1948年(昭和23年)8月15日 - 渋谷駅前にハチ公の銅像復活(二代目・現存)[10]

1950年代 - 1960年代渋谷駅(1950年代)渋谷区(1952年)

1950年(昭和25年)6月 - 国土計画興業が徳川山南(大山町)に分譲を開始。

1956年(昭和31年)12月1日 - 渋谷駅東口に東急文化会館開館。

1957年(昭和32年)12月1日 - 渋谷地下街(現・しぶちか)開業。

1958年(昭和33年)

10月 - 丸井渋谷店開店。

原宿セントラルアパート完成( - 1986年)。


1961年(昭和36年)

7月30日 - リキスポーツパレス完成。

10月 - 1964年に開催される東京オリンピック会場・選手村建設地としてワシントンハイツの返還が決定。


1962年(昭和37年)

5月10日 - 「住居表示に関する法律」による町名改正・街区番号整理。


1963年(昭和38年)3月27日

渋谷区長選任贈収賄事件の刑事訴訟で、最高裁判所大法廷は特別区において区長公選制を認めないことが憲法93条2項に反しないと判断。


1964年(昭和39年)

ワシントンハイツ跡地に、渋谷区総合庁舎・渋谷公会堂国立代々木競技場完成。

渋谷川の明治通り交差部(旧宮下橋)から上流部の暗渠化・下水道化工事が完成。

宮下公園を人工地盤上公園に改築、地平部は駐車場とする。


1965年(昭和40年)

4月5日 - 渋谷区役所が現在地に移転・開業。

東京オリンピック選手村跡地の一部が国立オリンピック記念青少年総合センターとして発足、また同年、同じく選手村跡地のNHK放送センターが第1期運用を開始(完全移転は1973年7月31日)。

日本初の億ションであるマンションコープ・オリンピアが原宿(神宮前)に完成。

6月13日 - 渋谷東急ビル開業(現・渋谷東急プラザ)。


1967年(昭和42年)

4月19日 - 映画館(渋谷松竹・渋谷国際)などの跡地に西武百貨店A・B館開店。

10月20日 - 東京オリンピック選手村跡地に代々木公園開園。

11月1日 - 旧大向小学校跡地に東急百貨店本店開店。渋谷の商業地域の拡大が始まる。

12月10日 - 都電中目黒線(渋谷橋 - 恵比寿駅前 - 中目黒)、6系統(渋谷駅前- 新橋)、8系統(中目黒 - 築地)廃止[12]


1968年(昭和43年)9月29日 - 都電青山線(渋谷駅前 - 青山1丁目)、9系統(渋谷駅前- 新佃島)、10系統(渋谷駅前 - 須田町)廃止[12]

1969年(昭和44年)

5月11日 - 東急玉川線(渋谷 - 二子玉川)など廃止。

10月26日 - 都電天現寺橋線(渋谷駅前 - 天現寺橋)、34系統(渋谷駅前 - 金杉橋)廃止[12]。渋谷区内の路面電車はすべて廃止になる。


1970年代 - 1980年代

1970年ごろまでは、若者の街、若者文化の流行の発信地といえば、何といっても新宿だった。しかし、1970年代になると、それが新宿から渋谷へと移動する動きが始まり、若者文化の歴史は大きく変わっていった(渋谷系#誕生の背景も参照)。この影響で渋谷だけではなく、渋谷区の中にある原宿を含めた渋谷区全体に大きな変化が訪れることになる。その流れは「新宿から渋谷、または原宿を含めた渋谷区全体へ」(つまり原宿表参道代官山裏原宿方面も)と移り変わっていく。1973年には象徴的な出来事として渋谷PARCOの開店があった。

1970年(昭和45年)

10月1日 - 渋谷駅西口駅ビル竣工(3階 - 8階:東急百貨店東横店南館)。


1971年(昭和46年)

現在の公園通りの入り口に丸井ファッション館(現・マルイジャム)開店。

11月14日 - 渋谷暴動事件


1972年(昭和47年)

渋谷区役所通りが、パルコ開店を前に公園通りと命名される。

10月20日 - 営団地下鉄千代田線霞ケ関 - 代々木公園間開業。


1973年(昭和48年)

6月14日 - パルコPART1開店。「西武劇場」(現・PARCO劇場)開設。公園通りの活性化により「ファッションの街」としてのイメージが定着する。

6月20日 - NHKホール完成(オリンピック選手村跡地がほぼ現在の形になる)。


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