江戸時代に七清華から2つの新家を加えたものである。しかしこの両家より朝廷の最高職である太政大臣に昇った例が一例もなく、既存の七清華よりも格下とされた。近代の爵位は共に侯爵であった。
広幡家
正親町源氏嫡流。正親町天皇の皇孫八条宮智仁親王の第3王子、忠幸王(1623年 - 1669年)が臣籍降下して創立。忠幸は最初、尾張藩に赴き武家となったが、のち帰洛して大納言に進んだ。禄高:約500石、家紋:三つ葉菊
醍醐家
藤原北家摂関流。江戸時代に五摂家の一条家から分かれた家。摂政一条昭良の次男、権大納言醍醐冬基(1648年 - 1697年)が初代。禄高:約312石、家紋:下り藤
絶家となった家
洞院家
藤原北家閑院流西園寺庶流。第 9代の洞院実熙の時には既に経済的に困窮。第10代公数は自ら没落