清水徳川家
[Wikipedia|▼Menu]
篤守は相続の際に清水姓に改めたが、明治10年(1880年)には徳川姓に復している。明治17年(1884年)の華族令伯爵を授けられたが、篤守は負債を巡る訴訟事件により「華族の礼遇に耐えられず」として、明治32年(1899年)に爵位を返上した。明治35年(1902年)6月15日付の『東京朝日新聞』により、清水徳川家の関係者による徳川慶喜の息子を相続人とする再受爵運動を確認できる[2]

その後、日本最初の航空パイロットとして知られる篤守の嫡子好敏日本陸軍航空兵分野確立の勲功により、昭和3年(1928年)にあらためて男爵を授けられた[3]。後に好敏は陸軍中将に昇進している。
歴代当主[ソースを編集]
江戸時代[ソースを編集]

初代当主 重好1795年、実子なく死去。

1795年 - 1798年 当主不在。

2代当主 敦之助徳川将軍家から養子、11代将軍家斉の五男)(当主に数えない場合もある)1799年、4歳で夭折。

1799年 - 1805年 当主不在。

3代当主 斉順 (11代将軍家斉の七男)1816年、和歌山藩11代藩主として紀伊徳川家を襲封。

4代当主 斉明 (11代将軍家斉の十一男)1827年、19歳で夭折。

5代当主 斉彊 (11代将軍家斉の二十一男)1846年、和歌山藩12代藩主として紀伊徳川家を襲封。

1846年 - 1866年 当主不在。

6代当主 昭武水戸徳川家から養子、15代将軍慶喜の弟)1868年、水戸藩11代藩主として水戸徳川家を襲封。

明治以降[ソースを編集]

1868年 - 1870年 当主不在。

7代当主 篤守 (水戸徳川家から養子、6代昭武の甥)1870年、清水姓に改姓。1877年、徳川姓に復姓。1884年、伯爵を受爵。1899年、伯爵位返上。

8代当主 好敏 (7代篤守の子。陸軍中将)1928年、男爵を受爵。

9代当主 豪英

10代当主 (現当主)

系譜[ソースを編集]

凡例:太字は清水家の人物、数字は当主の代数
重好から斉彊まで[ソースを編集]

           
         
家重宗武宗尹

            
    
家治重好1治済

           

家基   家斉

                        
                         
家慶敦之助2斉順3斉明4斉荘松平斉民斉彊5


昭武以降[ソースを編集]

斉昭  

           
        
慶篤慶喜昭武6

            
    
篤敬篤守7 武定

                               
                                 
芳子好敏8貞子保子守川上明鈴子光山田雄

            
    
   豪英9輝尚

             
         
恵栄10


脚注[ソースを編集][脚注の使い方]
注釈[ソースを編集]^ 江戸時代初期に存在した清水藩(きよみずはん)は、当然ながら清水徳川家とは無関係である。
^ 前述の3代斉順は、面識は無いものの義父となる。

出典[ソースを編集]^ a b c 藤田英昭 2003, pp. 31?32.
^ 松田敬之 2015, p. 489.


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:27 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef