清水トンネル
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また、トンネルの上にそびえる谷川岳は、トンネルの開通により首都圏から手軽に行ける本格的山岳として登山者に大人気となったが、冬の雪の多さと岩壁の厳しさから多くの遭難者を出し、「魔の山」と呼ばれるようになった。

開通当時は日本最長の鉄道トンネルで、1962年(昭和37年)6月10日北陸トンネルが開通するまで30年以上その地位を保っていた。

2009年平成21年)2月6日に、経済産業省より「近代化産業遺産群 続33(鉄道トンネル)」の一つとして笹子トンネル柳ヶ瀬トンネルなどとともに近代化産業遺産に認定されている[6]。また、2017年度には土木学会選奨土木遺産に認定された[7]
茂倉信号場

茂倉信号場
しげくら
Shigekura

土合 (4.8 km) (5.9 km) 土樽
所在地群馬県利根郡水上町.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度50分45.5秒 東経138度55分53秒 / 北緯36.845972度 東経138.93139度 / 36.845972; 138.93139座標: 北緯36度50分45.5秒 東経138度55分53秒 / 北緯36.845972度 東経138.93139度 / 36.845972; 138.93139
所属事業者日本国有鉄道
所属路線上越線
キロ程74.2 km(高崎起点)
開業年月日1943年昭和18年)5月15日
廃止年月日1984年(昭和59年)11月1日
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第二次世界大戦時の輸送量増強のため、上越線を含む単線の主要幹線では駅間距離が長い区間を中心に多くの信号場が設置された[1]。清水トンネルの中間部は完成時より列車交換が可能なよう複線断面とされていたため、1943年(昭和18年)に茂倉信号場が設置された。信号場の名称は、直上にそびえる谷川連峰の茂倉岳にちなんで名づけられたものである。

後述の新清水トンネル完成後は、上り線用の追い抜き設備として用いられ、1984年(昭和59年)11月1日に廃止された。

現在も設備は温存されており、冬になると除雪のための保線車両が留置されることがある。なお新清水トンネルの中間地点にも列車交換設備を設置するための空間が存在するが、線路は敷設されておらず、清水トンネル内の茂倉信号場とも繋がってはいない。
歴史

1943年(昭和18年)5月15日:開設
[1]

1967年(昭和42年)9月28日:新清水トンネル開通に伴う清水トンネルの上り線専用化により、以降追い抜き設備として使用[1]

1984年(昭和59年)11月1日:廃止。

新清水トンネル

新清水トンネル高崎方の入口
概要
路線上越線
位置群馬県新潟県
現況供用中
起点群馬県利根郡みなかみ町
終点新潟県南魚沼郡湯沢町
駅数2
運用
建設開始1963年(昭和38年)[8]
開通1967年(昭和42年)9月28日
所有 東日本旅客鉄道(JR東日本)
通行対象鉄道車両
技術情報
全長13,490m[8](下り線専用)
軌道数1(単線
軌間1,067mm
電化の有無有 (直流1500V
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戦後の経済成長で新潟への交通量が増え、これに対応するため上越線の複線化が実施された。新清水トンネルは群馬側のループトンネル下の新湯檜曽信号場(現在の湯檜曽駅)から掘削され、途中土合駅を通り、清水トンネルとほぼ同じく土樽駅手前で地上に出るルートが取られた。

湯檜曽駅(下りホーム)は群馬側から新清水トンネルに入ってすぐの所にある。また土合駅(下りホーム)は新清水トンネル中に設けられ、地上の駅舎までは計486段の階段で連絡する構造になっている。

岩ハネ」と呼ばれる岩盤の剥離現象に悩まされて工事は難航し、湯檜曽駅付近掘削中には温泉湧出に遭遇した。その結果、泉脈の水圧低下に伴い周辺温泉街から苦情が出たため、コンクリートで湧出部を塞いだ。難工事ではあったが、技術の進歩もあり清水トンネルの約半分の工期で完成した。

新清水トンネルの完成により、清水トンネルは上り(東京方面)専用、新清水トンネルが下り(新潟方面)専用となった。

2022年現在、JR東日本管内の在来線では最長トンネルであり、単線断面の鉄道トンネルとしても国内最長である。2024年の北陸本線(敦賀駅 - 金沢駅間)の経営移管後はJRの狭軌在来線で最長トンネルとなった。

土合駅内の長岡方面の下り地下ホームに進入する長岡行き普通電車(2008年1月2日)

新清水トンネル内にある土合駅下りホーム もともとは待避線があり通過待ちができる構造だったが、現在は1面1線となっている(2009年5月)

大清水トンネル

大清水トンネル越後湯沢方坑口
概要
路線上越新幹線
位置群馬県新潟県
現況供用中
起点群馬県利根郡みなかみ町
終点新潟県南魚沼郡湯沢町
運用
建設開始1971年(昭和46年)
開通1982年(昭和57年)11月15日
所有 東日本旅客鉄道(JR東日本)
通行対象鉄道車両(新幹線専用)
技術情報
全長22,221m
軌道数2(複線
軌間1,435mm
電化の有無有 (交流25,000V・50Hz
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大清水トンネル(だいしみずトンネル)は、新清水トンネルに次ぐ3本目のトンネルとして掘削されたトンネルで、上越新幹線の上毛高原駅越後湯沢駅の間にある。1979年1月25日に貫通した[9]

全長22,221mは、当時世界最長だったスイス連邦鉄道(SBB、スイス国鉄)のシンプロントンネル(19,823mおよび19,803m)を抜いて世界一(1988年3月の青函トンネル貫通まで、山岳用としては2000年9月の東北新幹線岩手一戸トンネル貫通まで[注 3])となった。なお、本トンネルは上毛高原側で第2湯原トンネル(703m)・第1湯原トンネル(786m)・月夜野トンネル(7,295m)とシェルターを挟んで一体化しているため、トンネル状構造物としてはおよそ31kmが連続しており、上毛高原 - 越後湯沢間の駅付近を除いたほぼ全体を占めている。

やはり「岩ハネ」現象が多発して作業員の負傷や作業機械の損傷が続出した上、工事中には水温の非常に低い湧水に悩まされた。また、トンネルの掘削により越後湯沢温泉水上温泉の泉脈に影響を与えて源泉枯渇や湯量減少を招いた為、後に補償として源泉集中管理システムや新規源泉の開発が両温泉地に対して行われた。

貫通してから約2か月後の1979年3月20日午後9時40分頃、群馬県側から7.3km程入った保登野沢工区付近で掘削機を解体中に火災が発生し、16名の死者を出した[10]

大清水トンネルの途中から新潟側に越後湯沢駅を挟んだ塩沢トンネルにかけ、長い下り坂を利用した営業最高速度275km/h運転が200系F90-93編成にのみ実施されていた時期がある。これは山陽新幹線500系が営業最高速度300km/h運転が実現するまで、定期列車の営業運転速度としては日本最高であった。

大清水トンネル谷川横坑(群馬県みなかみ町


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