深夜番組
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バブル期

性風俗に代わり、1980年代末からは、フジテレビ「JOCX-TV2」枠に代表される他の時間帯とは異質の娯楽番組(視聴率度外視・マニア向け、低予算、関係者・出演者が若手メインといったドラマバラエティ番組)や情報番組が放送される様になった。

これらの番組は原則的に関東ローカル(キー局制作の場合)であり、人気番組でも地方局では放送しないか、遅れ放送(昼間やプライムタイムのローカル時間帯に放送する事も多い)の場合も多かった。しかし、『イカ天』や『カノッサの屈辱』などの、社会現象になった番組も多い。

1987年秋、フジテレビ[注 3]とTBSが24時間放送を開始[8]、これを受け翌1988年春からは、残りの民放各局も終夜放送もしくはそれに準ずる編成へと移行し、首都圏の民放各局が24時間放送体制を開始する。また、先発である2局がそれぞれ、深夜枠に「レーベル」を設定(フジテレビ「JOCX-TV2」→「JOCX-TV PLUS」など、TBS「パーソナル6」)、後発局の一部にも追随の動きがみられた(日本テレビ「NiteWalk NTV(ナイトウォーク)」→「NTV MIDNIGHT」→「劇的時間帯(ドラマティック・アワー)」→「ONLY 4 YOU」→「AX(アックス)」)。

この流れに伴い、一部の放送局では空いた時間の埋め合わせも兼ねて在阪放送局制作の人気深夜番組をネットすることとなり、「鶴瓶上岡パペポTV」(読売テレビ制作、日本テレビでは1988年10月からネット開始)を始めとする、一部の関西発の深夜番組が全国区で人気を獲得する例も出てきた。ただし、1991年の一時期に湾岸戦争の影響による省エネルギー対策のため、3:00頃から放送休止していた(2010年代時点でも月曜未明など、2:00頃から4:00の間放送を休止している)。
バブル崩壊期から1990年代末

1980年代後半あたりから平日23時台が全般的に報道枠へと変化しており、『NEWS23』(TBS)や『ワールドビジネスサテライト』(テレビ東京)など看板番組になったものも多くなった。その他、F1などモータースポーツ(主に録画)や欧米の各種競技の中継などスポーツ番組が増え、従来の深夜バラエティ番組が平日23時から追い出されつつあった。

この流れに一石を投じたのが1993年から放送が開始された『ネオバラエティ』(テレビ朝日)である。同局は平日22時台に『ニュースステーション』(現:『報道ステーション』)を編成しているため、その代替の意味もあって平日23時台にバラエティ番組を編成した。これが新しい視聴者層の掘り起こしに成功し、NHKやフジテレビなども参入して競合番組も現れた。

従来より23時台は週末においてはプライムタイム枠に次ぐ時間帯として『ねるとん紅鯨団』や『夢で逢えたら』などの数々の人気番組を世に出したが、これ以降23時台は平日においてもプライムタイムよりも視聴者層を限定した番組や実験的な企画が許容されることに加え、0時以降の深夜番組よりも番組の成否が「視聴率」という形で現れやすいという双方の面を兼ね備えている時間帯として認識されることとなり、『ネオプライム』という時間帯の商業価値の向上に大きく寄与することとなっていった。

お色気番組については1990年代末まではテレビ東京を中心にかろうじて存在していたが、その後地上波ではほぼ絶滅状態となった。

この他、3大都市以外からも人気になる深夜番組が生まれ、北海道テレビ放送が制作したバラエティ『水曜どうでしょう』が全国的な人気を集めた。
2000年代以降

人気のある深夜番組をゴールデンタイムや、22時台(プライムタイム)に移動させる1990年代以来の方法が多くなっている。成功してさらなる人気を得た例は少なくないが、番組本来の魅力が薄れて低視聴率となり短期間で打ち切られた例も多い。このため深夜枠での放送を温存しつつ、別枠でゴールデンタイム版を並行して放送する手法を取られる例が出てきた(テレビ朝日が多用する手法で、シルシルミシル → シルシルミシルさんデーお願い!ランキング → お願い!ランキングGOLD)。

TBSでは『ワンダフル』の後継番組『pooh!』が打ち切られた後もTBSは深夜バラエティの制作を手掛けて来たが、両番組の頃と比べるとTBS制作の深夜番組を同時ネットする系列地方局が減りつつあった[注 4]が、ネット局が増加している番組もある。一方でMBSCBCが制作する番組や他系列番組をネットしたり、再放送を放送する地方局が増えている。また、キー局製作の中でもキー局だけの関東ローカル番組も増えている。

大都市圏では深夜アニメの割合が高まっているが、地方局では放送しないところも多く、テレビショッピングなどが多く流されている。
関西における深夜番組

関西地方では、伝統的に深夜枠に関しては、自社制作率が高く人気番組も多く存在した為、全国放送に近いネットを持つ、関東制作の深夜番組でもネットされないと言う事がある。(例えば、TBSの『ワンダフル』やテレビ朝日の『トゥナイト2』など。ちなみに『ワンダフル』の枠では『痛快!明石家電視台』、『たかじんONEMAN』、『乾杯!トークそんぐ』、『今夜はえみぃ?GO!!』、『トゥナイト2』の枠では『ナイトinナイト』、『探偵!ナイトスクープ』と言った人気番組があった)。ネットされる場合でも、時差放送であったり、遅れての放送である場合が多い。

関西地方で独自の番組編成が多く組まれることとなった理由は、深夜テレビ番組の黎明期にまで遡ることができる。前述にもあるように1960?80年代は関東地区を中心に「深夜といえばお色気番組」という認識が強く、お色気を前面に出した番組が多く制作されている時代があった。しかし、関西では読売テレビを除く各局においてお色気番組そのものが局関係者(特にかつて毎日放送社長だった高橋信三)に受け入れられず、深夜であってもエロ・グロは忌み嫌われる存在と認識されていたことや、また関西にはお笑い芸人を中心としたタレントが多く居たことから、東京の番組をネットしなくても自局で番組を制作し放送することが十分可能であったことなどが理由として挙げられる。

前述の歴史的背景があること、また視聴者の嗜好にも東西間で差があることなどから、現代においても深夜枠は自社制作率が高い状況が続いている。

終夜放送に関しては、1995年阪神・淡路大震災以後、朝日放送テレビ(当時は朝日放送本体のテレビ局)が、放送休止時間帯(概ね午前3?4時台)に、フィラーの一環として、当時の大淀にあった社屋のお天気カメラからの映像を終夜放送したのが始まりとされる。その後、読売テレビ放送が「NNN24(現・日テレNEWS24)」の、MBSテレビ(開始当初毎日放送本体のテレビ局)が「JNN→TBSニュースバード(現・TBS NEWS)」の同時放送を深夜のフィラー帯で行うようになり、以後、テレビ大阪以外の各局も深夜枠の拡充で追随するようになる。
NHKにおける深夜番組

NHKは総合・教育共に基本的には深夜放送と無縁だった時代が長かった。1970年代前半までは24時までだったが、オイルショックの影響でその後1974年に23時終了に短縮。その後は総合テレビは23:15(週末だけ24:00)に放送終了、放送開始は6:00という時代が続いた。教育テレビはその後24時までの放送をすぐに再開している。総合テレビの24時までの放送延長は1984年4月まで待たねばならなかった。

例外は、台風などの接近が予想される場合や、海外でオリンピックなどのスポーツ中継がある場合、『ゆく年くる年』に代表される年越し番組が放送される場合(12月31日深夜?1月1日未明)などである。その他、1978年に未明にサッカーワールドカップアルゼンチン大会)を放送した事例もある。

NHK総合テレビが深夜枠を重視する様になるその先駆けとなった番組は、1985年放送の『スタジオL』である。その後、衛星放送の開始などもあり、民放には遅れたが1990年代半ばから深夜枠の大幅拡大、さらには終夜放送に至った。NHKの場合は、公共放送としての性格上、深夜時間帯に突発的な災害や大事件などが発生した場合への迅速な対応も兼ねて終夜放送を行っている(ラジオの深夜番組である『ラジオ深夜便』もこれと同様の体制を取っている)。
環境問題に伴う深夜放送の是非

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かつて第1次オイルショックの頃には、省エネルギーのために民放各局は郵政省(現:総務省)によって深夜24時以後の放送を休止[注 5]し、NHK総合NHK教育は日中も一部放送を休止[注 6]、さらに独立県域UHFの一部では日中の放送を休止してカラーバーを放送するか停波の状態にして、夕方?夜間の時間帯のみに放送[注 7]した時期があった。


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