アニメ以外の深夜番組と同様に、独自の番組枠名称(商標)を命名するケースも増えている(具体例は関連項目を参照のこと)。フジテレビの『ノイタミナ』や毎日放送の『スーパーアニメイズム』のように、全てのネット局で共通して名称を使用することもある(専門チャンネルでの遅れネットや再放送、インターネット配信ではこの限りではない)。 日本の深夜アニメ第1号は、1963年から1964年にかけて水曜夜23時40分 - 23時55分にフジテレビ系列で放送された『仙人部落』[21] である(第9話よりプライムタイムの22時30分 - 22時45分に移行)。1969年には在京キー局ではない系列局の名古屋テレビ(メ?テレ)[注釈 7] が初めて製作した『六法やぶれクン』が放送されたが、その後15年以上にわたって深夜アニメの放送が途絶えた[22]。 1980年代に入ると、1986年の『ハートカクテル』(日本テレビ)、1987年の『レモンエンジェル』(フジテレビ)、1989年の『小松左京アニメ劇場』 (毎日放送)、『セイシュンの食卓』(よみうりテレビ、『11PM』枠内)、1992年の『スーパーヅガン』(フジテレビ、史上初の30分枠深夜テレビアニメ[注釈 8])、1995年の『行け!稲中卓球部』(TBS)などが製作された[22]。これらの作品は話題とはなったものの、すべて単発の試みに留まっている。アニメ評論家の藤津亮太は、OVAとして製作・発売された『銀河英雄伝説』が1990年にテレビ東京の深夜帯で放送されたことや、再放送枠ではあるが1992年に開始された毎日放送の『ヒーローは眠らない』枠の存在も、「テレビアニメにおける深夜枠開拓の先駆けの一つ」という見解を示している[22]。また、1997年からTBSの深夜帯のバラエティ番組『ワンダフル』内で放送された短編アニメ「ワンダフルアニメ」の大ヒットも指摘されている[23]。 1990年代後半に入り、1995年にテレビ東京系列で水曜夕方に本放送され大人気を博した『新世紀エヴァンゲリオン』が、テレビ東京の深夜帯において数度再放送された際の視聴率が(深夜帯としては)驚異的な数字を叩き出し[22]、その他系列局や各地の地方局で再放送ないし遅れネットにおいても異例の高視聴率を記録した[24]。テレビ東京でかつてアニメ部門のプロデューサーを務めた東不可止は、『新世紀エヴァンゲリオン』の1997年における再放送の反響が大きかったことを挙げている[24]。また、人気漫画を原作とする『逮捕しちゃうぞ』も大きな反響を呼んだ[注釈 9]。 そんな中、テレビ東京は1996年に放送された『エルフを狩るモノたち』を皮切りに深夜アニメ枠の開拓を進めるようになった[22]。深夜での放送は不安視されたが、視聴率2%台という深夜においてはまずまずの記録を出し、原作のコミックやサウンドトラックも売れた[25]。さらに当時、大量生産に有利なデジタルアニメの実用化や、概要で述べたように製作委員会方式の確立で資金調達が容易になったことも相まって、新作テレビアニメの放送数が急増し、深夜アニメ枠はちょうどその受け皿として機能することとなった[22]。それを受けて他の在京キー局や、在阪局・在名局なども次々と深夜アニメ事業に参入するようになる[7]。 1998年には当初から独立局での深夜帯放送を念頭に製作された『LEGEND OF BASARA』が放送されたのを皮切りに、独立局各局でも深夜アニメの展開が開始され、その後の深夜アニメの有力な担い手となっている[26]。
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