淡路恵子
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墓所は元夫萬屋錦之介と同じ鎌倉霊園にある。
エピソード
交友関係


宝塚歌劇の娘役スターであった
淡島千景に憧れて、芸名を淡路にしたという。淡島のことは「お姉ちゃま」と呼んで慕っており、『駅前シリーズ』など多くの映画や舞台「毒薬と老嬢」で共演している。また、プライベートでも大変親交が深く実妹の様に可愛がられ、淡島の親族・関係者と共に臨終にも立ち会った[12]。淡島に初めて会ったのは1949年(昭和24年)で、日劇で宝塚歌劇を初めて見て淡島に感激したことがきっかけだった。学校をサボって4日間通い続け、どうしても淡島に会いたくなり、楽屋に入りたいがために淡島の妹だと嘘をついた[13]。淡島との初共演作の『美貌と罪』(1953年、松竹)では姉妹役が実現した[13]

恵子の名は『野良犬』出演の際、黒澤明監督に付けて貰っている[14]

『野良犬』の撮影中、三船敏郎には「男の子みたいだから」と“ボクちゃん”という愛称で呼ばれ、可愛がってもらったという(その後淡路は俳優仲間などから、本名が由来である“イダ子”という愛称で呼ばれていた)[15]。淡路と三船は1987年、淡路の女優復帰作『男はつらいよ 知床慕情』で、喧嘩友達から恋仲となる中年の男女を演じ、好評を博した。

1954年11月、映画『風と共に去りぬ』などで知られる俳優のクラーク・ゲーブルが来日した時に、彼に会っている[16]

越路吹雪とは生前、プライベートでも大変仲がよくて大親友であり、越路が亡くなった際には死化粧を行った。後輩の山本陽子も親友の1人であった。

堺正章とは堺が子供の頃、父親の堺駿二と共に散歩しているところに遭遇していたことを公言している[17][信頼性要検証]。

愛煙家


17歳の頃から喫煙を始め、一日に3箱のたばこを吸うほどのヘビースモーカーである[18]

パーラメントのライト100(ハンドレッド)を愛飲しており、「たばこは私の6本目の指」と公言している[18]

神奈川県兵庫県の受動喫煙防止条例について、「鬼の首をとったように、たばこだけをとやかく言うのはおかしい」と批判した[18]

同じく喫煙者であるすぎやまこういちと話した際、「肺がんになれば納得。他のがんだったら許さない」と2人で大笑いしていたが[18]、皮肉にも淡路自身は喫煙と因果関係が深い食道がんを患い、死去に至った[19][20]

芸能界有数の喫煙姿が絵になる人として、バラエティ番組等で紹介されることもある[21]

ゲーマー
芸能界屈指のゲーマーで、中でも大のドラゴンクエスト好きであり、第1作目からやっている[2][22]。お気に入りは『ドラゴンクエスト8』。後にレギュラー出演することになる『アウト×デラックス』に初めて出演した際には「ドラクエは裏切らない」と発言している[注釈 1]。借金返済のため必死に働き看病を続けた末病気から回復した萬屋錦之介に浮気が発覚し、離婚したストレス発散のためドラクエをやり出したとも言われる。また、ファイナルファンタジーについてはキャラの下手な声優の声が出るのが自分の夢を壊すので嫌いだった。『火曜サプライズSP』出演の際には後発の『ファイナルファンタジー6』込みでDAIGOに熱く語り、VTRを早送りされたほどである[24][信頼性要検証]。携帯電話の機種変更の際にはドラゴンクエストの序曲を着信音にするほど熱中している。また地方の公演の際には携帯ゲーム機だけではなく大型の家庭用ゲーム機をホテルに持ち込んでプレイをしている。同シリーズは新作が発売されるまでのスパンが長いこともあり、「一遍にやっては勿体無い」という思いから、ラストダンジョンの前で一度プレイを止め、主人公の名前を違うものに変えて最初からやり直す、ということを何十回と繰り返すという。ゲームデザイナーの堀井雄二に「早く3年ごとくらいに作ってくれないと、私、死んじゃう」と懇願したこともある。同シリーズ9作品目に関して、プラットフォームが携帯機に移行したことと、セーブデータが1つしか作れないため、上記のような再プレイに際してその前の古いデータを残しておけない(結局、同じソフトを買い足した)ことなどから、不満を持っているが、プレイ時間は300時間を超えサブロムも所有し[25]、食道ガンと直腸ガンで入院していた際にも『IX』を持ちこんでいたほどである[10]。『ドラゴンクエスト10』は、インターネットで繋げて遊ぶことから「不特定多数の人と繋がるだなんて嫌」と発言し[26]、その画面上に「あくまでも個人の感想です」というテロップが表示されるほど批判しているが、今作品の為にインターネットを自身で接続している事を述べている[24]。仕事のない日には3日ほど徹夜で遊び続けるほどやり込んでいる[27]。また、同じRPGでも、『ファイナルファンタジー』は主人公が喋ってしまうという点で好きではなく、「喋るまではやっていた」と語っている。また『桃太郎伝説』もプレイしていたことがある[28][信頼性要検証]。
病院嫌い
亡くなった際の所属事務所の社長の証言として、四男出産以降40年ほど病院に通っていなかったことが明らかになった[10]
家族・親族

父は海軍軍人だった[3]。母は茨城県久慈浜の網元の娘[3]。母は、道楽者の結婚相手に愛想を尽かして子供2人を連れて東京に出て助産婦を始めた時、父と知り合い再婚した[3]。13と11違いの兄が2人いる[3]

淡路は20歳のときにフィリピン人歌手ビンボー・ダナオ(Bimbo Danao)と結婚[29]。彼のショーを見に行って人に紹介された[29]。ビンボー・ダナオは本国に妻と4人の娘がいて、またカトリック信者であり、その妻と離婚ができなかった[29]。そのために入籍はしておらず事実婚であった[29]。淡路によれば「私、結婚に対してなんの夢もなきゃ、婚姻届を出すとかそんなことも知らなかったの。“好きだ、好きだ”って彼が言って、私が家を建てたらやって来て、お互いに好きだから一緒にいただけ。一緒にいるから結婚だと思っていたくらい(笑い)」という[29]

長男の島英津夫と次男(一般人のため非公表)を出産。2児の母となるが、ダナオの度重なる浮気が原因で1965年に離婚(ダナオは1967年に腺肉腫で死去)。1966年に中村錦之助(後に萬屋錦之介と改名)と再婚し、女優業を引退、三男・四男を出産した。しかし、錦之介の個人事務所である中村プロが13億円もの莫大な負債を抱え倒産。重症筋無力症で倒れた錦之介を献身的に看病するが、豪邸を売却し貯金も尽きた淡路は、錦之介を看病しながら生活費を稼ぐため、一時期は六本木クラブの雇われママも経験した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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