区の産業は、江戸期には農業などが中心であった。旧来、中津川(現:淀川)の洪水に悩まされながらも、肥沃な農業地帯であったようで、地域の農民は自力で中島大水道を開削した。加島には幕府の銭座が置かれ、伝統的に工芸の盛んな土地で「酒は灘、銭は加島」といわれるほど、良質な銭貨が生産されていた。現在では、卸・小売業、飲食店を中心とする商業活動が主であるが、機械器具製造業、金属製品製造業を中心とする工業活動も盛んであり、商・工業活動とも常に本市の上位を占めている。
明治以降、淀川の改良で区画整理が進み、さらに淀川を渡る橋もいくつか架けられた。1910年に箕面有馬電気軌道(現:阪急宝塚線)が開業すると沿線では住宅地化が進み、ターミナル駅である十三駅一帯は区内随一の繁華街へと変貌した。一方、第二次世界大戦後の1964年には東海道新幹線の開業に伴い、区内東端に新大阪駅が設置された。遠方からのアクセスの良さから、駅周辺にはベンチャー企業などが集積している[1]。1990年代以降の再開発により、駅北口を中心に高層のオフィスビルが建てられ、現在では大阪市の副都心に指定されている[2]。 淀川区(に相当する地域)の人口の推移 1970年(昭和45年)155,868人
地理
隣接している自治体・行政区
大阪市の行政区
北区
西淀川区
東淀川区
福島区(塚本1丁目の一部)
自治体
豊中市
吹田市
兵庫県尼崎市
人口
1975年(昭和50年)150,754人
1980年(昭和55年)154,269人
1985年(昭和60年)159,981人
1990年(平成2年)160,660人
1995年(平成7年)162,022人
2000年(平成12年)163,370人
2005年(平成17年)169,222人
2010年(平成22年)172,078人
2015年(平成27年)176,201人
総務省統計局 国勢調査より
歴史
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、西成郡歌島村、中津村、神津村、西中島村、北中島村が発足。
1910年(明治43年)3月10日 - 箕面有馬電気軌道(現:阪急宝塚線)が開通。十三駅・三国駅が設置される。
1911年(明治44年)2月1日 - 中津村が中津町となる。
1922年(大正11年)7月15日 - 神津村が神津町となる。
1923年(大正12年)6月1日 - 西中島村が西中島町となる。
1925年(大正14年)4月1日 - 大阪市の第二次市域拡張により、上記3町2村が大阪市に編入され、歌島村は西淀川区、他は東淀川区の一部となる。