消防車
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ニューシャムの消防ポンプ車はアメリカに導入された後、米国の技術者により様々な改良が検討されたが、その過程の中で本質的には回転ビームによる上下運動により動力が加えられていた消防ポンプに、何らかの構造で回転運動による動力伝達を試みる改良が施された。初めに、消防ポンプの上方に回転ハンドル型のクランクを取り付けるコーヒーミルと呼ばれる構造が開発され、操作員がポンプの上でクランクハンドルを回しつづけることによってポンプを連続駆動させられるようになった。この改良により、それまでの回転ビーム方式がポンプ操作要員に最低でも6人を要し、どんなに熟練した要員でも毎分60ストローク程度がやっとであったものが、2名の操作員で毎分120ストロークを発揮するまでに高速化された。しかし、この改良を以ってしても、「1グループの操作員が全力でポンプを連続駆動できる時間は5分から10分程度がやっと」という制約を越えられなかったため、コーヒーミル型に続いて、消防ポンプのシリンダーを横向きにして、水平方向に回転ハンドル型のクランクを取り付けるサイダー・ミル(英語版)型の構造が開発され、人力の他に輓獣を用いて消防ポンプを連続回転させることができるようにもなった。馬や牛による大馬力の確保は消防ポンプの更なる水圧向上に繋がっていき、この安定した圧力維持のためについには蒸気機関の再導入の欲求へと繋がっていくことになる[7]イギリスの蒸気消防車。馬が曳くことで移動する馬車であり、蒸気機関は消防ポンプの駆動のみに用いられた。

1802年、リチャード・トレビシックが世界初の実動する蒸気機関車を発明し、1814年ジョージ・スチーブンソンが蒸気機関車を実用的なものにした。その後、蒸気機関の改良は進み、1829年には、イギリスにおいてジョン・ブレースウェイト(英語版)とジョン・エリクソンが、蒸気消防車(英語版)の製作に成功する。2人が製作した消防ポンプは10馬力で、毎分900リットルから1200リットルの水を約30メートルの高さまで放水できるものであり、消防機器の機械化第1号といえる[9]1871年式アモスケーグ・マニファクチュアリング・カンパニー(英語版)製蒸気消防車。蒸気機関による自走が可能となったモデルである。

1840年にアメリカ合衆国はイギリス人技師のポール・ラムゼイ・ホッジ(Paul Ramsey Hodge)を招き、ニューヨーク市公会堂の国旗掲揚塔を越える放水能力を持つ蒸気ポンプの製作を依頼する。ホッジは1841年3月末に蒸気ポンプを完成させ、公開試験で性能を披露した。このホッジの蒸気ポンプは、自力走行できる性能を持っていたため、消防自動車第1号といえる[9][10]

日本では、1870年に東京府消防局がイギリスから蒸気ポンプを輸入したのを始め、1899年には日本製蒸気ポンプを市原ポンプ製作所が製作している[9]

手押し式ポンプに比べ、数倍の性能をもつ蒸気ポンプだが、普及はスムーズには進まなかった。イギリス(ロンドン)では充分な水の供給ができないことと、一般市民と火災保険会社が対立したことなどから蒸気ポンプは不採用となった[9]。アメリカ合衆国では、蒸気ポンプの使用によって、これまでの手押し式ポンプが無用となることや、消防職員の仕事がなくなるのではないかといった理由からニューヨーク市消防局で反対の声が起こり、やはり蒸気ポンプの採用は見送られた[9]。日本の場合、輸入した蒸気ポンプは東京市内の道路が狭くて効果的に移動できないこと、操作が複雑で十分に使いこなせないことなどから、1876年には北海道支庁の函館に売却される。しかし、函館でも十分な利用は行えず、1885年には盛岡市に再売却されてしまった[9]1905年のノックス・オートモーティブ製消防ポンプ自動車。

1905年、アメリカのノックス・オートモーティブ・カンパニー(英語版)が、実用化されて間もないガソリンエンジン駆動のトラックに消防ポンプを載せるという革新的なアイデアを実行に移し、近代的な消防自動車の第一号となった。ノックスの消防自動車のアイデアは、瞬く間にアメリカ内外の自動車メーカーにも追従されていくことになった。内燃機関を用いる自動車への消防ポンプの搭載は、1875年にオズボーン・レイノルズにより概念自体は発明されていたものの、人力・蒸気機関の何れを用いても最大回転速度の問題で実現不可能といわれていた遠心ポンプの実用化にも繋がることになり、消防ポンプ車は飛躍的な性能向上を果たすことになる[11]

その後、技術進歩もあって、日本においては1911年に大阪市がドイツからベンツ社製の消防ポンプ車を輸入し[12]、1914年に開催された東京大正博覧会でのイギリス・メリーウェザー(英語版)社、ドイツ・ベンツ社の消防ポンプ車出展を見た横浜市がメリーウェザー社の物を、名古屋市がベンツ社製の物を購入した[9][13]。1917年には東京市もアメリカン・ラフランス社から消防ポンプ車を購入する。日本製消防ポンプ車の製作は1939年からとなる[9]

日本の消防車は赤い塗装であるが、これは1911年に大阪市が輸入した消防車が赤色であったためである。1951年制定の道路運送車両法保安基準第49条第2項によって、消防自動車は朱色であることが法律上定められた[12]

ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州ザーレムの消防博物館に保存してあるニューシャムの手動消火ポンプ搭載の消防車

1670年代の消防車

ブリストル工業博物館にあった1906年の蒸気ポンプ搭載の消防馬車

アメリカ合衆国・タコマ市で使用されていた黄色い消防車

種類

消防ポンプ車はしご車化学消防車、指揮車など、場面に適した車両がある。
構造・機能

この節の加筆が望まれています。 (2015年8月)


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