1802年、リチャード・トレビシックが世界初の実動する蒸気機関車を発明し、1814年にジョージ・スチーブンソンが蒸気機関車を実用的なものにした。その後、蒸気機関の改良は進み、1829年には、イギリスにおいてジョン・ブレースウェイト(英語版)とジョン・エリクソンが、蒸気消防車(英語版)の製作に成功する。2人が製作した消防ポンプは10馬力で、毎分900リットルから1200リットルの水を約30メートルの高さまで放水できるものであり、消防機器の機械化第1号といえる[9]。1871年式アモスケーグ・マニファクチュアリング・カンパニー(英語版)製蒸気消防車。蒸気機関による自走が可能となったモデルである。
1840年にアメリカ合衆国はイギリス人技師のポール・ラムゼイ・ホッジ(Paul Ramsey Hodge)を招き、ニューヨーク市公会堂の国旗掲揚塔を越える放水能力を持つ蒸気ポンプの製作を依頼する。ホッジは1841年3月末に蒸気ポンプを完成させ、公開試験で性能を披露した。このホッジの蒸気ポンプは、自力走行できる性能を持っていたため、消防自動車第1号といえる[9][10]。
日本では、1870年に東京府消防局がイギリスから蒸気ポンプを輸入したのを始め、1899年には日本製蒸気ポンプを市原ポンプ製作所が製作している[9]。
手押し式ポンプに比べ、数倍の性能をもつ蒸気ポンプだが、普及はスムーズには進まなかった。イギリス(ロンドン)では充分な水の供給ができないことと、一般市民と火災保険会社が対立したことなどから蒸気ポンプは不採用となった[9]。アメリカ合衆国では、蒸気ポンプの使用によって、これまでの手押し式ポンプが無用となることや、消防職員の仕事がなくなるのではないかといった理由からニューヨーク市消防局で反対の声が起こり、やはり蒸気ポンプの採用は見送られた[9]。日本の場合、輸入した蒸気ポンプは東京市内の道路が狭くて効果的に移動できないこと、操作が複雑で十分に使いこなせないことなどから、1876年には北海道支庁の函館に売却される。しかし、函館でも十分な利用は行えず、1885年には盛岡市に再売却されてしまった[9]。1905年のノックス・オートモーティブ製消防ポンプ自動車。
1905年、アメリカのノックス・オートモーティブ・カンパニー(英語版)が、実用化されて間もないガソリンエンジン駆動のトラックに消防ポンプを載せるという革新的なアイデアを実行に移し、近代的な消防自動車の第一号となった。ノックスの消防自動車のアイデアは、瞬く間にアメリカ内外の自動車メーカーにも追従されていくことになった。内燃機関を用いる自動車への消防ポンプの搭載は、1875年にオズボーン・レイノルズにより概念自体は発明されていたものの、人力・蒸気機関の何れを用いても最大回転速度の問題で実現不可能といわれていた遠心ポンプの実用化にも繋がることになり、消防ポンプ車は飛躍的な性能向上を果たすことになる[11]。
その後、技術進歩もあって、日本においては1911年に大阪市がドイツからベンツ社製の消防ポンプ車を輸入し[12]、1914年に開催された東京大正博覧会でのイギリス・メリーウェザー(英語版)社、ドイツ・ベンツ社の消防ポンプ車出展を見た横浜市がメリーウェザー社の物を、名古屋市がベンツ社製の物を購入した[9][13]。1917年には東京市もアメリカン・ラフランス社から消防ポンプ車を購入する。日本製消防ポンプ車の製作は1939年からとなる[9]。
日本の消防車は赤い塗装であるが、これは1911年に大阪市が輸入した消防車が赤色であったためである。1951年制定の道路運送車両法保安基準第49条第2項によって、消防自動車は朱色であることが法律上定められた[12]。 消防ポンプ車、はしご車、化学消防車、指揮車など、場面に適した車両がある。
ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州ザーレムの消防博物館に保存してあるニューシャムの手動消火ポンプ搭載の消防車
1670年代の消防車
ブリストル工業博物館にあった1906年の蒸気ポンプ搭載の消防馬車
アメリカ合衆国・タコマ市で使用されていた黄色い消防車
種類
構造・機能が望まれています。 (2015年8月)