消費者
[Wikipedia|▼Menu]
安全を求める権利

選ぶ権利

知らされる権利

意見を聞いてもらう権利

日本での歴史

日本では、古くは打ちこわしに始まり、1918年米騒動、1920年代の借家人運動、1921年結成の神戸購買組合や灘購買組合、1928年に奥むめおらの呼びかけで始まった婦人消責組合協会、愛国婦人会などが消費者運動の嚆矢であるが、消費者運動の本格化は戦後になってからである

1945年昭和20年)に、大阪の主婦らが粗悪品追放を掲げて「おしゃもじ運動」を起こした。1948年(昭和23年)9月3日には、「不良マッチ追放主婦大会」が原宿(東京都)の社会事業会館で開かれた。当時まだ配給制だったマッチは擦っても着火しなかったり、折れたりする不良品が多かった。奥むめおらの呼び掛けで主婦数百人が集まり、「1を9合の水で割り1の値段で買わされるようなもの」と抗議。商工省経済安定本部の官僚も同席下、企業の代表に「粗悪品は作らない」と約束させることに成功。以後、各地で主婦会、婦人会が結成され、主婦連合会(主婦連)発足につながった[6]

昭和30年?40年代(1955年?65年頃)、日本が高度経済成長期に入ると、大量生産・大量消費が行われるようになり、事業者と消費者との間で、情報の非対称性が極端に大きくなり、いわゆる消費者問題が起こるようになってきた。

1955年(昭和30年)には、森永ヒ素ミルク中毒事件が発生。その一年後の1956年(昭和31年)には水俣病が発生し、食品の安全性公害に疑問を持つ消費者が多くなった。1960年(昭和35年)には「うそつき缶詰事件」(にせ牛缶事件)が発生[注 1]

1961年(昭和36年)には、サリドマイド睡眠薬事件が発生。1965年(昭和40年)には新潟県第二水俣病、1968年(昭和43年)にはカネミ油症事件と、次々に消費者が被害者となる事件が発生した[7]

1968年(昭和43年)5月には消費者保護基本法が制定された[8]。これは消費者のための憲法とも言われることがあるものであり、これによって行政・事業者・消費者それぞれの役割が明確化された。それまでの「産業優先」に凝り固まった考え方から消費者優先の原則へと移行し、消費者行政の基礎が体系づけられ、消費者保護に関する基本的方向が示されたのである。

その後、この消費者保護基本法の趣旨にのっとり、全国の地方自治体に消費生活センターが設置されることになった。これは消費者行政の"第一線機関"とも位置づけられるものであり、消費者からの苦情・相談の窓口となったり、苦情処理テストや消費者啓発を行うなど、消費者と直接に接する業務を行うものである。

1969年(昭和44年)には、日本消費者連盟が設立され『消費者レポート』が出版されるようになった。これは告発型のそれである。一方、1970年代には消費者団体の乱立が見られ玉石混交状態を生み出した。中にはユーザーユニオン事件など企業への圧力が恐喝にあたるか否かを裁判で争う団体も現れた[9]

1970年(昭和45年)に、消費生活センターが開設された当時、消費者の最大の関心事は食品の安全性であった。当時、牛乳のBHC汚染、発がん性が問題となったAF-2チクロなどの食品添加物、魚の水銀汚染などの問題が発生していた。1970年?79年までに寄せられた相談の件数でも、食料品の相談が1位を占めている[10]食品添加物健康食品などに関する相談が多かった。

1972年(昭和47年)から1973年(昭和48年)の「第一次石油危機」に際しては、石油製品の値上げ協定を締結したとして、鶴岡市の消費者が山形地方裁判所鶴岡支部に損害賠償請求訴訟を起こした。一審では勝訴したものの、仙台高等裁判所が逆転敗訴判決を下し、最終的には1989年(平成元年)に最高裁判所で原告敗訴が確定した(鶴岡灯油事件、最判平成元年12月8日、民集43巻11号1259頁)。

昭和50?60年代(1975年?85年頃)には訪問販売が盛んになり、これに関するトラブルが増えた。典型的な事例としては豊田商事事件が挙げられる。

1976年(昭和51年)には訪問販売法(現在の特定商取引法の前身)が制定された。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:34 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef