海軍条約文書事件
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そしてホームズとワトスンは、フェルプスを連れてロンドンへ戻ると言った。駅に着き、ロンドン行きの汽車が出発する直前、今度はホームズだけウォキングに残ると言いだした。そしてワトスンとフェルプスだけをロンドンにやった。

次の朝、馬車に乗ってホームズが帰ってきた。彼は手に包帯を巻いていたが、その説明はあとですると言った。やがてハドスン夫人が朝食を運んできた。ホームズは食欲旺盛で、次々に料理をたいらげてゆく。食欲のないフェルプスに、ホームズは目の前の料理だけでも食べろと勧めた。フェルプスが皿のふたを取ると、そこには盗まれた条約文書があった。狂喜乱舞するフェルプス。

フェルプスが落ち着いたところでホームズが、冗談が過ぎた事を詫びてから説明した。ワトスンたちと別れたあと近くの宿屋で時間をつぶし、夜になるとフェルプス邸の庭に忍び込み、フェルプスの部屋が見える場所で張り込んだ。アニーは指示どおり部屋にいて、自分の寝室に引き揚げるときはしっかりと鍵をかけた。やがて使用人用のドアが開き、ジョセフが現れた。彼はフェルプスの部屋の窓の掛け金を外して、中に忍び込んだ。そして床にある鉛管工事用の板を外して、そこから何かを取り出した。窓の外に出てきたジョセフと格闘して、この文書を取り返したときにホームズは手に怪我をした。ジョセフは株で大損をして、金が欲しかったようだ。外務省へフェルプスに会いに行って、たまたま机の上に文書を見つけ、価値のあるものと考えて盗んだ。そして自分の部屋の床下に隠していたのだが、フェルプスの病室に使われるようになったため、文書を回収することができなかったのだった。

ワトスンがホームズに依頼を紹介するという珍しい話でもある。他には「技師の親指」に例がある。

また、ワトスンはこの話を最後にホームズに関する執筆をやめるつもりだった事が「最後の事件」冒頭で語られている。
研究

「海軍条約文書事件」の冒頭には、「第二の汚点」という事件についての言及がある。ここで記された「ホームズがパリ警察と高名な探偵の前で、事件の真相を説明した」という場面は、1904年に発表された短編「第二の汚点」には存在しない。この食い違いについて、「ホームズがワトスンの原稿を読んで探偵に関わる部分を削除した」とする説や、「海軍条約文書事件」の発表が1893年という大空白時代であることから、この内容はホームズ宛の暗号だとする説がある。一方『詳注版 シャーロック・ホームズ全集』を発表したベアリング=グールドの見解では、冒頭の言及で結婚直後の7月とあるのに対し、短編の「第二の汚点」では発生年代の10の位すら明らかにできないと書かれていることなどから、同名ではあるが別々の事件の記録なのだとしている[2]

この物語は1889年の事件とする説が根強い。そのため作中に登場する「外務大臣ホールドハースト卿」は当時の首相兼外務大臣ソールズベリー侯爵、その甥という設定で登場する「パーシー・フェルプス」はアーサー・バルフォアがモデルであろうとする説が存在する[3]。また、盗まれた条約文書は1887年2月にイギリスイタリア王国スペインオーストリア=ハンガリー帝国の4国間で締結された「地中海協定(英語版)」がモデルである。

イギリスとイタリア間の条約にもかかわらず、条約文書がフランス語で書かれているのは、フランス語が外交上の公用語だったためである[4]
脚注[脚注の使い方]
出典^ ジャック・トレイシー『シャーロック・ホームズ大百科事典』日暮雅通訳、河出書房新社、2002年、77頁
^ 検閲説はアナトール・チュージョイ、暗号説はギャヴィン・ブレンドによる。 - コナン・ドイル著、ベアリング=グールド解説と注『詳注版 シャーロック・ホームズ全集6』小池滋監訳、筑摩書房〈ちくま文庫〉、1997年、242-244頁
^ 平賀三郎『ホームズの不思議な世界』青弓社、2012年(平成24年) p.180-183
^ ジャック・トレイシー『シャーロック・ホームズ大百科事典』日暮雅通訳、河出書房新社、2002年、289頁










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