海軍戦略
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彼は海戦陸戦の相互依存関係を重視して海戦の目的が制海権だけでなく敵の海上貿易を破壊することであり、通商破壊で敵を減衰させることが海軍戦略であると考えた。また戦闘そのものよりも海上での通信連絡の重要さを認め、艦隊の主目的は連絡網の確保と、敵の連絡網の破壊であり、必ずしも敵の艦隊を破壊することを求めるべきではないとした。

コーベットにとって、制海権は相対的なものであり絶対的なものではない。一般的あるいは地域的な論議、一時的か恒久的かといったカテゴリーに区分けされるものであるとした。コーベットは支配的な連絡網を確保するための2つの方法を提案した。敵の軍艦や商船を破壊または捕獲する物理的な方法と、海上封鎖である。
世界大戦の影響

第一次世界大戦では、潜水艦が導入され、新兵器の開発と海戦の戦術開発につながった。2つの世界大戦で、潜水艦は主に商船の破壊活動に使われ、それ自身が制海権を確保するものではない。しかし、潜水艦という形の「貿易戦争支援」戦略が1917年にはイギリスを瀬戸際まで追い込み、遅まきながら護送船団(コンボイ)の再導入ということになった。同じ戦略をアメリカが第二次世界大戦中の1943年から太平洋戦争で採用し、日本軍を負かした。

ドイツは海上艦や他の補助的な商船破壊手段を使って連合国の貿易活動を妨げようと試み、かなりの成果と時間的な遅れをもたらしたものの、両大戦とも連合国軍の連絡網を完全に破壊するまでには至らなかった。

軍用機の開発でさらに戦術的な変化が起こった。航空母艦を含む艦隊の出現である。アメリカ軍は、太平洋の日本軍に占領された島々をすべて落としていくよりも、飛び石伝いに艦隊基地や航空基地を作るために必要な島のみを落としていく飛び石作戦(アイランド・ホッピング)を取った。第二次世界大戦の終わりまでに、制海権は海上の制海権ばかりではなく、その上空や海中をも含むようになった。
現代の海軍戦略

海軍戦略は、陸や空の戦いを含む総論的な戦略に変わってきた。海軍戦略は技術の進歩とともに常に発展を続けている。例えば冷戦時代ソビエト海軍は、NATOに対抗してブルーウォーター(外洋)を支配することから、バレンツ海オホーツク海の砦を守る方に戦略を変えた。
脚注^ 防衛大学校・防衛学研究会編『軍事学入門』(かや書房、2000年)、山内大蔵、内田丈一郎『海軍辞典』(今日の話題社、昭和60年)
^ 山内大蔵、内田丈一郎『海軍辞典』(今日の話題社、昭和60年)
^ 外山(1981年)、233-234頁。
^ 青木(1982年)、119頁。
^ 外山(1981年)、228頁。

関連項目

戦略 - 軍事戦略

海軍 - シーパワー - 海軍力 - 制海権 - シーレーン

フョードル・ウシャコフ

アルフレッド・セイヤー・マハン

ジュリアン・コーベット

アルフレート・フォン・ティルピッツ

海戦術

ガレー船時代の海戦戦術 - 帆船時代の海戦戦術 - 蒸気船時代の海戦戦術


参考文献

防衛大学校・防衛学研究会編『軍事学入門』(かや書房、2000年)

前原透監修、片岡徹也編集『戦略思想家辞典』(芙蓉書房出版)

青木栄一 『シーパワーの世界史(1)』 出版協同社、1982年。

小林幸雄 『図説イングランド海軍の歴史』 原書房、2007年。

外山三郎 『西欧海戦史』 原書房、1981年。

典拠管理データベース

公文書館(アメリカ)


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