海老名市
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(68.5)25.3
(77.5)25.3
(77.5)31.0
(87.8)33.4
(92.1)37.6
(99.7)37.9
(100.2)38.1
(100.6)37.6
(99.7)33.4
(92.1)27.9
(82.2)24.6
(76.3)38.1
(100.6)
平均最高気温 °C (°F)10.6
(51.1)11.4
(52.5)14.4
(57.9)19.4
(66.9)23.8
(74.8)26.3
(79.3)30.1
(86.2)31.6
(88.9)27.9
(82.2)22.6
(72.7)17.6
(63.7)13.0
(55.4)20.7
(69.3)
日平均気温 °C (°F)4.7
(40.5)5.7
(42.3)9.1
(48.4)14.1
(57.4)18.6
(65.5)21.9
(71.4)25.7
(78.3)26.9
(80.4)23.3
(73.9)17.9
(64.2)12.3
(54.1)7.1
(44.8)15.6
(60.1)
平均最低気温 °C (°F)?0.6
(30.9)0.3
(32.5)3.9
(39)8.8
(47.8)13.9
(57)18.3
(64.9)22.2
(72)23.2
(73.8)19.7
(67.5)14.0
(57.2)7.7
(45.9)1.9
(35.4)11.1
(52)
最低気温記録 °C (°F)?7.7
(18.1)?8.9
(16)?5.6
(21.9)?2.7
(27.1)4.2
(39.6)9.9
(49.8)14.2
(57.6)16.7
(62.1)10.6
(51.1)2.0
(35.6)?1.5
(29.3)?7.3
(18.9)?8.9
(16)
降水量 mm (inch)67.3
(2.65)67.0
(2.638)143.9
(5.665)152.9
(6.02)156.9
(6.177)178.2
(7.016)191.2
(7.528)159.7
(6.287)254.2
(10.008)240.9
(9.484)103.2
(4.063)67.2
(2.646)1,760.9
(69.327)
平均降水日数 (?1.0 mm)5.36.010.19.810.112.111.29.012.310.67.75.4109.2
平均月間日照時間190.8168.2166.5175.0178.4123.2156.7189.8132.4133.2150.5179.71,946.9
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1978年-現在)[3][4]

歴史
古代

縄文時代より肥沃な耕地であったことが知られている。

古墳時代には、国分に瓢箪塚古墳、上今泉に秋葉山古墳群、上郷に「有鹿の岡」などの前方後円墳円墳が築造された。

天智天皇3年(664年)5月には、市内西部にある相模国の最古クラスの有鹿神社で祭礼を行った記録が残っている。

奈良時代には相模国国分寺が置かれていた。

中世

平安時代中期より台頭してきた海老名氏がこの地域を所領する。海老名氏は村上源氏の血統で武蔵七党のうち横山党に属する(諸説ある)。

海老名氏の庇護を受けた有鹿神社が鎌倉時代永徳元年(1381年)に神階の最高位である正一位を朝廷より賜る。

元弘3年(1333年)、鎌倉幕府打倒をめざして北関東から攻めてきた新田義貞軍により、海老名一帯は兵火の災いを受け、多くの社寺が壊滅。

永享10年(1438年)に永享の乱があり、鎌倉公方足利持氏が宝樹寺(通称は海老名道場。廃寺のため現存せず)に本陣を置き、室町幕府軍と戦い敗走した。これによって海老名氏は滅亡し、海老名は再度兵火を蒙り衰微した。それ以降、上杉氏後北条氏の庇護を受けるが、海老名地域が有力者の本拠地に直接なることは無くなった。

戦国時代末期、中新田に徳川家康家臣高木清秀が移り住む。

近世

かつて
大山街道(あるいは大山道)として大山阿夫利神社への参詣者が通る街道が敷かれていた。このルートは東海道矢倉沢往還とも併称される「青山通り大山道」であり、現在は市内を通る神奈川県道40号横浜厚木線(旧国道246号線)として機能している。また「柏尾通り大山道」は、もう1つのルートとして現在の神奈川県道22号横浜伊勢原線を形成する形で市内を通っている。これらの古道を中心として江戸幕府領(天領)が置かれていたことやその空隙を縫って諸飛地領が配されていた。

1684年4月27日-領主に直訴を企てた庄屋鈴木三太夫が捕らえられ、子ども共々処刑される。

大政奉還されるまでの知行権が及んでいた各地域。

旗本領地: 上郷村、河原口村、上今泉村、下今泉村、望地村、柏ヶ谷村、杉久保村、中河内村、本郷村、社家村、中野村(烏山藩との兼領)、門沢橋村、今里村を所領する。

佐倉藩領地 国分村、上河内村を所領する。

烏山藩領地 大谷村、中野村(旗本との兼領)を所領する。


近現代

明治以前は相模国高座郡であった。郡制の詳細は郡制を参照。

1872年明治5年) - 日本は天保暦に代わり、『明治5年太政官布告第337号、改暦ノ布告』をもってこれよりグレゴリオ暦を導入する。

1889年 4月1日 - 高座郡 上郷村、河原口村、中新田村、上今泉村、下今泉村、国分村、望地村、柏ヶ谷村、大谷村 が合併し海老名村となる。また、杉久保村、上河内村、中河内村、本郷村、社家村、中野村、門沢橋村、今里村 が合併し有馬村となる。

1906年 - 現在の神奈川県立中央農業高等学校が開校。

1916年大正5年) - 河原口に電灯がつく。

1918年 - 海老名村庁舎(現・温故館)完成。

1921年 3月3日 - 相模国分寺跡が国の史跡に指定される。

1926年 - 神中鉄道(現・相模鉄道)が厚木駅から二俣川駅間で開通。厚木駅(現在の厚木駅本屋)、相模国分駅(現・信号所)設置。相模鉄道(現・JR相模線)開通。厚木駅共用使用、社家駅設置。

1927年昭和2年) - 小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)開通。海老名国分駅(後に廃止)、河原口駅(現・厚木駅)設置。

1931年 - 門沢橋駅設置。

1940年 12月20日 - 海老名町制施行。

1941年 - 海老名駅設置。

1955年 7月20日 - 海老名町・有馬村が新設合併し、改めて海老名町が発足。

1956年 12月1日 - 県営水道による給水開始。

1966年 11月5日 - 旧町役場庁舎完成。

1968年 - 大和厚木バイパス開通(全線開通は1992年)。

1971年 11月1日 - 海老名市制施行。

1973年 - 小田急相鉄海老名駅を現在位置に移設。

1975年 - さがみ野駅かしわ台駅設置(大塚本町駅廃止、かしわ台駅東口となる)。

1978年 - 防災行政無線運用開始。

1979年 4月1日 - 神奈川県立海老名高等学校開校。

1983年 4月5日 - 神奈川県立有馬高等学校開校。
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