近年、海老名駅前ではマンション建設が積極的に行われており、横浜・東京のベッドタウンとして注目を集めている。同時に市内には多くの田園地帯を抱えていて、伝統的な農業緑地と都市住宅が共存している市でもある。 横浜市、小田原市、三浦市などに対して、内陸に位置するため、気温の日較差・年較差が大きい。 2016年8月9日及び2013年8月11日に観測した最高気温38.1°Cは神奈川県内の観測地点では最も高い値であり、1978年2月4日に観測した最低気温-8.9°Cは神奈川県内の観測地点では最も低い値である。ただし、神奈川県内で気象庁が気温を観測している地点は5ヶ所[注釈 1] と少なく、その中で内陸に位置しているのは海老名市のみであるため、「海老名市が神奈川で最も暑く最も寒い」とは断言できない[2]。 海老名市
地理
神奈川県のほぼ中央に位置し、市域は南北に長い。相模川の左岸に位置し、西部は広大な平地(相模平野)が広がるが、河岸段丘の地形から東部は高台(相模原台地)となっている。北部・西部は鉄道路線が交錯しており、南部は東名高速道路が通過している。
北緯:35度28分38秒?35度23分59秒[1]
東経:139度26分11秒?139度22分09秒[1]
東西:6150メートル、南北8700メートル[1]
海抜:11?84メートル[1]
面積:26.59平方キロメートル[1]
気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)20.3
(68.5)25.3
(77.5)25.3
(77.5)31.0
(87.8)33.4
(92.1)37.6
(99.7)37.9
(100.2)38.1
(100.6)37.6
(99.7)33.4
(92.1)27.9
(82.2)24.6
(76.3)38.1
(100.6)
平均最高気温 °C (°F)10.6
(51.1)11.4
(52.5)14.4
(57.9)19.4
(66.9)23.8
(74.8)26.3
(79.3)30.1
(86.2)31.6
(88.9)27.9
(82.2)22.6
(72.7)17.6
(63.7)13.0
(55.4)20.7
(69.3)
日平均気温 °C (°F)4.7
(40.5)5.7
(42.3)9.1
(48.4)14.1
(57.4)18.6
(65.5)21.9
(71.4)25.7
(78.3)26.9
(80.4)23.3
(73.9)17.9
(64.2)12.3
(54.1)7.1
(44.8)15.6
(60.1)
平均最低気温 °C (°F)?0.6
(30.9)0.3
(32.5)3.9
(39)8.8
(47.8)13.9
(57)18.3
(64.9)22.2
(72)23.2
(73.8)19.7
(67.5)14.0
(57.2)7.7
(45.9)1.9
(35.4)11.1
(52)
最低気温記録 °C (°F)?7.7
(18.1)?8.9
(16)?5.6
(21.9)?2.7
(27.1)4.2
(39.6)9.9
(49.8)14.2
(57.6)16.7
(62.1)10.6
(51.1)2.0
(35.6)?1.5
(29.3)?7.3
(18.9)?8.9
(16)
降水量 mm (inch)67.3
(2.65)67.0
(2.638)143.9
(5.665)152.9
(6.02)156.9
(6.177)178.2
(7.016)191.2
(7.528)159.7
(6.287)254.2
(10.008)240.9
(9.484)103.2
(4.063)67.2
(2.646)1,760.9
(69.327)
平均降水日数 (?1.0 mm)5.36.010.19.810.112.111.29.012.310.67.75.4109.2
平均月間日照時間190.8168.2166.5175.0178.4123.2156.7189.8132.4133.2150.5179.71,946.9
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1978年-現在)[3][4]
歴史
古代
縄文時代より肥沃な耕地であったことが知られている。
古墳時代には、国分に瓢箪塚古墳、上今泉に秋葉山古墳群、上郷に「有鹿の岡」などの前方後円墳や円墳が築造された。
天智天皇3年(664年)5月には、市内西部にある相模国の最古クラスの有鹿神社で祭礼を行った記録が残っている。
奈良時代には相模国の国分寺が置かれていた。
中世
平安時代中期より台頭してきた海老名氏がこの地域を所領する。海老名氏は村上源氏の血統で武蔵七党のうち横山党に属する(諸説ある)。
海老名氏の庇護を受けた有鹿神社が鎌倉時代の永徳元年(1381年)に神階の最高位である正一位を朝廷より賜る。
元弘3年(1333年)、鎌倉幕府打倒をめざして北関東から攻めてきた新田義貞軍により、海老名一帯は兵火の災いを受け、多くの社寺が壊滅。
永享10年(1438年)に永享の乱があり、鎌倉公方の足利持氏が宝樹寺(通称は海老名道場。廃寺のため現存せず)に本陣を置き、室町幕府軍と戦い敗走した。これによって海老名氏は滅亡し、海老名は再度兵火を蒙り衰微した。それ以降、上杉氏、後北条氏の庇護を受けるが、海老名地域が有力者の本拠地に直接なることは無くなった。
戦国時代末期、中新田に徳川家康家臣高木清秀が移り住む。
近世
かつて大山街道(あるいは大山道)として大山阿夫利神社への参詣者が通る街道が敷かれていた。このルートは東海道の矢倉沢往還とも併称される「青山通り大山道」であり、現在は市内を通る神奈川県道40号横浜厚木線(旧国道246号線)として機能している。また「柏尾通り大山道」は、もう1つのルートとして現在の神奈川県道22号横浜伊勢原線を形成する形で市内を通っている。これらの古道を中心として江戸幕府領(天領)が置かれていたことやその空隙を縫って諸藩の飛地領が配されていた。
1684年4月27日-領主に直訴を企てた庄屋鈴木三太夫が捕らえられ、子ども共々処刑される。
大政奉還されるまでの知行権が及んでいた各地域。
元旗本領地: 上郷村、河原口村、上今泉村、下今泉村、望地村、柏ヶ谷村、杉久保村、中河内村、本郷村、社家村、中野村(烏山藩との兼領)、門沢橋村、今里村を所領する。
元佐倉藩領地 国分村、上河内村を所領する。
元烏山藩領地 大谷村、中野村(旗本との兼領)を所領する。
近現代
明治以前は相模国高座郡であった。郡制の詳細は郡制を参照。
1872年(明治5年) - 日本は天保暦に代わり、『明治5年太政官布告第337号、改暦ノ布告』をもってこれよりグレゴリオ暦を導入する。