神奈川県横浜市金沢区の富岡八幡宮の前の浜は明治維新の頃、横浜の山手・本牧に居留した外国人の娯楽の場所となった。ヘボン式ローマ字で著名な眼科医ジェームス・カーティス・ヘボン博士 (Dr. James Curtis Hepburn) が、富岡海岸の水質が良いことから海水浴を奨励した。1881年ころに「海水浴場神奈川縣廰」という標識が建てられたという。しかしこれは外国人専用だったらしい。
以後、海水浴場が各地に開設されるようになる。「日本最古の海水浴場」を標榜するところを編年順に列記する。
1880年 - 沙美海岸(岡山県倉敷市玉島黒崎)に医師坂田待園[5]の薦めで、海水浴による療養施設の為の仮小屋が建設される。
1881年
兵庫県須磨海岸にオランダ人医師W・ハイデンによって海水浴場が設置される。
医師だった後藤新平が愛知県常滑市の大野海岸と知多郡南知多町の千鳥ヶ浜に海水浴場を開く。
1882年
沙美海岸に本格的な海浜病院を建て、村営海水浴場開設。
10月9日 - 三重県伊勢市二見町の立石浜、オランダ人の医師ポンペからオランダ医学を学んだ初代軍医総監の松本良順によって日本最古の海水浴場として国に指定。
1884年 - 三重県二見の旧二見館前に海水浴場が移設され、二見館に海水温浴設備が設けられる。
1885年
内務省初代衛生局長の長与専齋の勧めにより鎌倉由比ヶ浜の三橋旅館が海水浴場を開設したことを『東京横浜毎日新聞』で広告。
軍医総監の松本良順が、健康法の一つとして神奈川県の大磯海岸照ヶ崎海岸を海水浴場に認定。当時は「湯治」のように、ただ海水につかったりあがったりを繰り返すだけだったようだ。しかし、まもなくレジャーとして発展し、1898年に発表された『鐵道唱歌』には、「海水浴に名を得たる、大磯見えて波涼し」の歌詞が見られる。
東京近辺では、他に神奈川県橘樹郡田島村(現在の川崎市の南東端)が、海水浴場として知られていた。
1987年制定の総合保養地域整備法以来、開発が盛んに行われたが、一方この開発による影響も課題がある。それは例えば偏った開発(他地域からの資本によりホテル、ゴルフ場ばかりが建つ)、地域の活性化に結びついていない、環境破壊などである[6][7]。
また2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う津波に襲われた岩手県、宮城県、福島県では、多くの海水浴場が砂の激減、流れ込んだ瓦礫などで閉鎖され、再開は一部にとどまっている[8]。 海水浴は夏場の身近なレジャーの一つだが、近年、水の汚い海水浴場が増加。2009年7月29日にアメリカ環境保護団体NRDCが行った発表によれば、遊泳禁止や閉鎖に追い込まれた海水浴場は2万件を超えるとされている。 一年を通じて温暖な地中海沿岸が人気である[9][10]。地域名としては、スペインのコスタ・デル・ソル、フランスのコート・ダジュールなどにあるリゾートがEurope's Leading Beach Resort 2012にノミネートされた[9]。コスタ・デル・ソルではマラガ県のマルベーリャ[9]、コート・ダジュールでは、中世から続くと言われるニースの、なかでもプロムナード・デ・ザングレが知られる[11]。他にもイタリアにある世界遺産のアマルフィ海岸、先述の"Europe's Leading Beach Resort"で2008年から2012年まで全ての年で金賞を受けているギリシャのリゾートが有名である[9]。また、ポルトガルのアルガルヴェはEurope's Leading Beach Destination 2012で金賞を受賞するほどの土地である[10]。
アメリカの海水浴場
ヨーロッパの海水浴場