ケーブルが傷ついたり切断したりしてしまった場合は、ケーブルの両端から海底ケーブル敷設船で引き上げ、船上で切れている部分をつなぎ合わせ、再び沈める作業が行われる。過去のケーブル障害の原因はキンクが一般的であったが、敷設技術の向上により減少している。鮫などの大型魚類や歯クジラなどの大型水棲哺乳類などの水棲生物がケーブルを噛む(シャークバイト)こともある。 海底ケーブルは帝国主義、資本主義の発展に伴い世界中に敷設されてきた歴史を持つ。イギリスの君臨した19世紀、世界の電信ケーブルは実に3分の2を電信建設維持会社
歴史
最初の実用的な海底ケーブルは1850年、イギリスのドーバーとフランスのカレーの間に開設され、翌年に開局。以降、様々な研究が重ねられ、大西洋横断ケーブルが1858年に開通した。これは2か月半しか稼働しなかったが、1865年に再稼働を果たしている。続いて1903年に太平洋横断ケーブルが商業太平洋海底電信会社(英語版)によりサンフランシスコ-マニラ間で完成した。
1866年、利用料は最初の20語以内が基本料金20ポンド、あとは1語1ポンド。一般的な労働者年収が60から80ポンドの時代、法外なシステムであった。1890年で1語0.5ポンド。先の大西洋横断ケーブルは当初1分あたり10語前後しか送れなかったものが、1894年には50語以上伝達可能となった。商業用の定型文は語数節減のため暗号化された。また守秘のため欧州外を宛先とするものは1890年で7割も暗号化された。1895-1898年、英印間通信の9割は商用であり、その9.5割が先の方法で語数にしておよそ1/30ほどに短縮された。20世紀の初頭から戦争で無線通信が使われ始め、これと競合したケーブル通信は価格が徐々に安くなった[17]。 地上での電信網が広がりを見せていた1840年代はじめ、海底ケーブルを用いた電信を実現させようとする動きがおこった。チャールズ・ホイートストンは1843年、テムズ川を横断する電信の実験を行った。また同じ年、サミュエル・モールスもニューヨーク湾で実験を行った。 しかし、これらの実験はどちらも失敗に終わった。電線を覆う絶縁物質の加硫ゴムが、水に長時間浸したことによって劣化したのが原因であった[18]。 一方、ウィリアム・モンゴメリーは、シンガポール赴任中に、原住民が日用品の原料としてガタパーチャと呼ばれる樹脂を使用していることを知った。モンゴメリは1843年にガタパーチャを大量に購入し、ロンドンで行われていた会合でそのサンプルを提出したところ、ホイートストンやマイケル・ファラデーの興味を引いた。ファラデーはその後ガタパーチャの研究を行い、1843年と1848年に研究結果を公表した。ガタパーチャは高い絶縁性を持ち、水に溶けず、低温では硬度が上がるといった特徴を有していた。そしてこれは海底ケーブルに適した性質であった[19]。 こうして、イギリスではファラデーらにより、ガタパーチャを使用した海底ケーブルの実験が行われた。同じころ、ヴェルナー・ジーメンスも当時イギリスに滞在していた弟を通じてガタパーチャを入手し、アメリカ政府に実験計画を提案、政府もこれを了承した。英米両国は実際に地下にケーブルを敷設し通信を行った。これらのケーブルは始めのうちは通信障害が多かったが、改良を重ねることで実用性を高めていった[20]。 ジョン・ワトキンス・ブレット
ケーブルの開発
ドーバー海峡横断ケーブル