浮世絵
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^ 『仮名草子・恨の介』(1609‐1617)の「『心の慰みはうき世ばかり』とうちしげる」 男女間の恋愛。いろごと。情事。また、恋、好色、情事などの対象となる人の意
^ 東京国立博物館画像検索より引用“洛中風俗図屏風(舟木本)”. 2020年5月3日閲覧。
^ 4期以外に、石田ほか(1987)[26]の3期、稲垣(2011)[27]の5期区分もある。
^ 松浦氏旧蔵なので、「まつら」と読む[29]
^ 宝暦年間(1751-64年)の細判(約33×15センチ)紅摺絵が1枚四文程度だったのに対し、春信の中判(約29×22センチ)錦絵は百六十文だった[54][55]
^ 春信と交流のあった太田南畝の『半日閑話』明和七年六月の項に「この人一生役者の絵をかかずして云、我は大和絵師なり。何ぞ河原者の形を画くにたへんやと」とある。実際は、宝暦10年(1760年)以降に、複数の役者絵が残されている[54]
^ 20世紀の終盤、立原位貫(たちはら・いぬき)は、春信らが用いた染料を復元し、摸刻摸摺をした[58][59]
^ 約33×15センチ[52]役者絵は、興行を見てから下絵を描き、彫摺するので、小さい判の方が早く版行出来て、有利である[60]
^ こえ。室町時代後期の、幅17センチ程度の小ぶりな絵巻物[67]
^ 浮世絵版画に対し、幕府批判等、問題がないか調べ、問題なければ捺印した制度[73]
^ 1813年(文化10年)に版行され、(大正12年)1923年の関東大震災で、版木が焼失するまで、100年以上摺り続けらけた、『 都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)』には、「紅を口に染むるは、下唇には濃くぬり、上唇には淡く付けべし。上下ともに濃きは賤し(略)紅を濃く光らさんとするには、まず下地に墨をぬり、その上へ紅を濃く付けべし。濃く見え、紅の色青みて光る也(略)又法。紅を濃く光らさんとするに、下地に行燈 にたまりたる油煙をとりて、筆の先切れたるにつけてぬり、その上に紅を付けるもよしといえり」とある[81]
^ 先述した、歌麿・豊国の『絵本太閤記』摘発、国芳の「源頼光公館土蜘作妖怪図」回収例を参照。
^ 県名の神奈川ではなく、東海道五十三次に含まれる地名。当初は横浜ではなく、神奈川が開港される予定だった。
^ 実際の改めは、地本問屋同士の自主検閲だったので、混乱下での版行も可能だった[115]
^ 先述の「横浜絵」の下限を1872年としたのは、鉄道開通によって、時代の最先端が、横浜から東京に移ったことを意味している。
^ 山下は『狩野派復古主義』と呼ぶ[127]。なお「日本画」という用語は、「洋画」に対する対立概念であり、明治20年代に登場し、30年代に一般にも定着する[128]
^ ふんぽん。狩野派で用いられた、見習い用の絵手本。これを写して絵を学んだ。
^ 高橋誠一郎(1932)「商品としての浮世絵版画」『三田学会雑誌』32(1)。[153]より孫引き。
^ 2014年に閉館し、コレクションの行方は公表されていない。
^ 国立音楽大学付属図書館のレファレンス調査では、神奈川沖波裏が「海」の楽曲自体に影響を与えたと述べる資料は無いとの回答が得られた“レファレンス協同データベース レファレンス事例詳細”. 国立国会図書館. 2022年9月25日閲覧。

出典^ 吉田 1962, pp. 25?26.
^ 吉田 1962, pp. 51?57.
^ 吉田 1962, pp. 57?59.
^ 山口 1995, p. 21.
^ 田辺 2011, p. 108.
^ 小林 1998, pp. 24?29.

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