浪曲師
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^ また関西テレビの節に浪曲ジャンルの出演者として鉄砲光三郎も入れられている。放送演芸史p.297。なお、章末の放送演目一覧表には独立して「音頭」の項目がある放送演芸史p.314
^ 昭和30年から50年ごろまで、東西のコマ劇場で大勢の観客を集めた公演には必ずといっていいぐらい劇中劇があった。誰でも知っている芝居の名場面のパロディで、コメディアンと演出家の腕のみせ所だった。劇中劇にもいろんな切り口があるのだが浪曲(フシ)劇は必ずうける定番であった。当然のことだが浪曲劇は浪曲がうまくないとおもしろく展開しない。浪曲がまだまだ盛んなころだったから、笑いものにされるために出てくれる浪曲師などいるわけはない。というわけで劇中劇の浪曲劇は、コメディアンで浪曲のできる人がいないと成立しないから、いまではやれなくなってしまった。あのころは堺駿二が見事な節で、「港家小柳丸の実弟だもの」と教えてもらって納得した。玉川良一さんは家号の通り玉川一門で、?利根の川風、タモトにエレテエ・・・・・・をギャグにしていたぐらいだから浪曲劇はお手のものだった。雁之助さんは五条家金玉師匠が組んだ浪曲劇の一座でやっていたというから本物である。一度だけねだって雁之助さんが劇中劇で「神崎与五郎・東下りの場」を浪曲劇でやってもらったことがある。浪曲師・芦屋雁之助三味線・岩崎節子神崎与五郎・宮川大助茶店の婆さん・間寛平馬子丑五郎・芦屋小雁馬の足・芦屋雁平という配役である。沢田隆治『私説大阪テレビコメディ史』p.23-24
^ 戦中である1943年(昭和18年)末に発表された大日本興行協会の全国統計によると、浪曲専門の一座は255座、浪曲・漫才の座は49、浪曲及び舞踏は4、浪曲劇専門は41、時代劇と浪曲劇を併演するものは12。出典:『実録 浪曲史』p.118 ★要確認
^戦前はこちらが詳しい
^ キネマ旬報年間ベストテンには、戦前に浪曲でもおなじみの主人公の映画がいくつかランクインしているが、「浪曲映画」は戦前戦後を通して数少ない。 ⇒参考サイト
^ 浪曲そのままのタイトル、浪曲師でもある2代目友衛のヒット曲であるが、歌謡浪曲の特徴は備えておらず、その点もあってか浪曲の範疇には取られないことが多い.
^ 本調子であり、浪曲とは異なっている
^ 司会の芦川淳平が書いた『浪曲の神髄』に放送リストがある
^ いずれも1クール(3ヶ月)程度の短いもので、テレビでも人気が定着したとは言い難い
^ 浪曲を愛好してそのもの真似をやりたがるのは、農村を含めた全国の庶民だった。『ものまねの歴史』p.219
^ 浪曲の世界ではまず先人の節まねから入り、徐々に自分の節使いを創造していくのが常道である。節まねは特別なものでなく、今でも二代目東家浦太郎など、高座の余興で披露する場合がある。
^ 「雲右衛門の弟子で雲太夫といった人が、(柳亭)左楽さんの門下になって、信楽を名乗った。本名を鈴木政吉という。今西の正蔵がこしらえた『墓誌』に出ております」出典:三遊亭円生『寄席切絵図』(引用者補足:桃中軒雲太夫といえば東家楽燕のことであり、おそらく芸談の類であろう)
^ 弟子筋に当たる古今亭志ん輔が継承し現在も寄席で演じることがある
^ 言わずもがなだが、地元の清水次郎長伝→虎造→森の石松の連想が強力に働いたと思われる。
^ 小、坊については修行中を表す意味が強く、その名を持つ浪曲師だけを集めた大会もしばしば開かれた。(唯1999, p. 90)
^ =東西の両協会(日本浪曲協会と浪曲親友協会)への名前登録の有無
^ 東三光は本来、京山華千代初代春野百合子の師匠の名前である。

出典^ a b c 「浪曲の魅力 映画で再発見」『読売新聞』朝刊2020年6月20日(エンタメ面)
^ 出典:小学館日本大百科全書(ニッポニカ)』「浪曲」秩父久方
^ 公益社団法人浪曲親友協会「浪曲とは」
^ 日本浪曲協会主催で度々開かれる大会等イベントは「笑う浪花節vs. 泣く浪花節」
^東京人』380号、p.16
^ または浪曲家(ろうきょくか): 三波美夕紀『昭和の歌藝人 三波春夫――戦争・抑留・貧困・五輪・万博』(さくら舎、2016年5月14日 ISBN 9784865810523)p.25
^ 国本、p.43-44
^ エーピーピーカンパニー『江戸東京芸能地図大鑑』付属冊子。p.23
^ 稲田、2014、p.123
^ 山折哲雄【「歌」の精神史】第3回「浪花節と演歌」『中央公論』2005年7月号
^ 「一時期はこの国の大衆演芸のトップを占め、黄金時代とよばれる全盛期を、なんどもくり返しつかんだことの浪花ぶしなのに、この国の知識人からひどくうとまれさげすまれて来た浪花ぶしである」(大西、p.8)
^ 稲田、2014、p.122。主に雲右衛門、楽燕の亜流による『義士伝』『乃木将軍』などの押しつけがましさによると推測されている。
^ 『定本』p.26.
^ 『定本』p.25.
^ 『定本』p.26.「文反故」
^墨東奇譚』で浪花節嫌いを明言している。
^ a b 「日本から抹殺すべきもの」アンケートに「浪曲」と回答。『群像』1950年2月号。(唯1999, p. 326)
^ 1942.7.7 聖戦5周年楽壇総動員大演奏会、交響詩曲「皇軍頌歌」作詞三好達治、作曲山田耕筰・諸井三郎・山田和男・尾高直忠・市川都志春、於国技館、主催東京日日新聞、陸海軍軍楽隊、後援陸海軍省、情報局」ラジオ放送された。『日本近代芸能年表(上)』p.120、『下』p.299。
^ 「久保田万太郎先生は『私は浪花ぶしといふものが大嫌ひである』と明記。(以下略)『定本』p.26
^ 大西、p.10
^ 中野朗『変奇館の主人』響文社、1999年11月、310頁。 
^ 『清水みなとの名物は―わが心の劇団ポートシミズ』
^ 久米宏 ラジオなんですけど:「おらおらでひとりいぐも」おひとり様老女は何を思う TBSラジオ(2017年11月25日)2020年6月22日閲覧
^ 『昭和十年生まれのカーテンコール』ISBN 9784864880367
^ 典拠:『高田文夫の大衆芸能図鑑』(ISBN 4093798877)、『イヨッ たっぷり!: 高田文夫の大衆芸能図鑑2』(ISBN 4093798974
^ “ ⇒記録2003?2004”. Min Tanaka ★ Rin Ishihara ★ Madada Official Web Site ★. 2023年5月13日閲覧。
^ a b 「浪花節の主要なテーマに「義理人情」がある。「義理人情」は、社会生活の喜怒哀楽を生み出す源泉である。(中略)既存の人間関係を保持しようとする〈義理〉と、積極的に他者と関わり、思いやることをすすめる〈人情〉を両立させようとする登場人物の言動は、しばしば感動を引き起こし、涙を誘う。浪花節の物語、特に「義理人情」をテーマとするものには、逃避できない日々の暮らしの中で耐え忍び、なんとかして生きていく人々の姿がえがかれる。なかでも〈義理〉は様々な拘束を生みだす。受動的なきっかけにより生じた〈義理〉は、定着後、人の言動をコントロールしてゆく」真鍋、2017、p.161。
^ 出典:デジタル大辞泉「浪花節的」(コトバンク)2020年6月22日閲覧
^ a b c 小沢昭一『日本の放浪芸』p.361
^ 広沢龍造編『独習で上達する浪曲の習い方』https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2477920
^日本が誇るエンターテイメント「浪曲」を世界へ! 浪曲師・春野恵子がNY公演にチャレンジ!-世界を変えるクラウドファンディングサービスCOUNTDOWN
^ 内山惣十郎『浪曲家の生活』p.232-233
^ 国本、p.136
^ 『まるごと三味線の本』p.117
^ 出典:『上方伝統芸能あんない』浪曲の章p.89-102。
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