浪曲師
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^ 消えた芸能として挙げた(倉田喜弘などの研究)。
^ 実際には今でいうブレーン的役割を果たした。
^ この上京の前、佐世保での公演後に二人は別れ、宮崎は「白浪庵滔天」の名を芸名としても使い、後に伊藤痴遊一心亭辰雄と関西巡業している。
^警視庁統計書』によれば当時1904年の東京市内の寄席は135軒。1日あたりの平均客数は昼席45人、夜席73人。それに対し、東京市内の劇場は大劇場が7座、小劇場が12座存在し、1日あたりの平均客数429人で一幕見を加えると、719人。出典:上田学『日本映画草創期の興行と観客』早稲田大学出版部、2012年3月30日。ISBN 9784657120045 p.70。
^ 正岡容「雲右衛門以前」は『日本浪曲史』のプロトタイプと呼べる作品である。その集成にもある。
^ 活動写真大流行「戦争後は火が消えたような活動写真がにわかに復活し、市内至る所に楽隊の囃子賑わしく、興行場はどこも大入り大繁盛。(中略)芝居に飽き、寄席に飽き、浪花節に飽き果て」た結果である。と書かれる状況になる。原典:『東京朝日新聞』1908年8月24日。年表下p.188。
^ 三波春夫の歌舞伎座公演2年目の1966年谷屋充作『風流奈良丸くづし』
^ これは創立間もない講談社が速記から創作(今に至る路線である)に転じる重要なきっかけとなる
^ 『講談社の90年』には、明治44年「講談倶楽部」創刊号には「浪花亭重松」で速記掲載があったが、問題の大正2年の増刊「浪花節十八番」発売記念の浪花節芸者大会に「木村重松」で出演していることが確認できる。
^ 一部で定説化した「大正6年12月20日付の『都新聞』紙上で初めて使用された」という事実は無いが、直後の年明け大正7年1月3日付には同紙上で記述を発見できる。関西でも大正9年8月18日付の『大阪毎日新聞』にある。その頃既に浪曲の世界を「浪界」と呼ぶ記述は見られ、「浪界」の初出は明治41年6月15日『福岡日日新聞』よりは以前。以上は芝清之『新聞にみる浪花節変遷史』明治編、大正編でも確認可能。
^ 当時、流行していた天才少年浪曲師が楽屋に増えた事に対する言葉だという異説あり。
^ また1930年(昭和5年)10月に浪花節「大和魂・国勢調査」吉田大和之丞、コロムビア。年表下。
^ 二代目東家楽遊の浜町御殿や鼈甲斎虎丸の中野御殿、また、初代雲月の唐津の大邸宅の一帯が「雲月町」と呼ばれていた例、戦後に寿々木米若の伊東温泉割烹旅館「よねわか荘」など。また、大和之丞(二代目奈良丸)が中心となって1935年(昭和10年)京都で大石神社を創建した例がある。
^ その様は、梅中軒鴬童『浪曲旅芸人』などに詳しい
^ 他に、当時レコードを活用し音楽(主にクラシック)の講演(今でいうレコードコンサート)をしていた田辺尚雄のエピソード。明治末年には「地方の講演は」「学校の講堂でやる」。「蓄音器を一台」準備を頼むと「レコードは浪花節か端唄か民謡」しかないが用意しときますと返事されたという。初めて聞く交響曲やピアノソナタ、オルガン曲に非常な驚きを示したと。田辺尚雄『明治音楽物語』p.301)
^ 日蓄は内憂(ラジオの脅威)外患(電気吹込という新システムを利用した外国レコードの参入)を抱えていた。出典:『昭和演歌の歴史』p.74欄外
^ a b 1924年秋に常務理事に就任した新名直和が打ち出した番組編成方針により、浪花節はその人気が排除の対象となる。新名は「放送の目的は、教養・報道・娯楽」であり「この鼎の三本足が相俟ってやっていくべきものと思うが、その中で最も中心となるべきものは教養である」との見解を表明するとともに、当時根強い人気を誇っていた浪花節をはじめ、小唄や常磐津などを「社会の悪」として放送しない方針を打ち出した。このためニュースに続いて、当初逓信省が想定していた伝統音楽や伝統芸能のいくつかも番組の候補から脱落した。原典:「座談会・放送事始」での新名の証言。『放送文化』1960年3月号.また浪花節は、宮家から放送の要請があるまで一度も放送されないほど徹底して除外されていた。(日本放送協会編『放送五十史年資料編』日本放送出版協会、1977年)出典:戸ノ下達也/長木誠二『総力戦と音楽文化』p.198
^ 国会図書館「れきおん」に多数録音が残されている
^ 吉川潮『江戸っ子だってねえ 浪曲師廣澤虎造一代』日本放送出版協会。1998年10月24日。ISBN 978-4140053089。「第7章 血煙田島町」p.168-189
^戦時ラジオのプロパガンダによる戦争責任を考える論文に愛国浪曲が1文字も無い。
^ 大会の存在自体に疑問符
^ 存在自体に疑問符が付く
^ またこう書く人もいる。「日本はポツダム宣言にもとづいて連合国に占領されることになった。(中略)天皇自ら天皇の人間宣言を行い、平和主義に徹し(中略)昭和20年9月13日、GHQの民間情報教育部(局)からの通達につぎのような内容が含まれていた。『尚演芸放送に関しては地方放送に於ても実施するを認められ居るも之が取扱に付ては当分の間純娯楽的なるものを主とし講談、浪曲、放送劇等に於ても軍事的好戦ものはなさざること』」p.238「この占領政策によって、義理人情や義侠の精神などの日本固有の価値観が否定された。浪曲はこの急速に衰退することになった。だが、戦前、戦中を生き抜いてきた日本人の価値観がそう簡単に消え去るものではなかった。日本人の底に流れる心情の世界を代弁する浪曲・浪花節はやがて、流行歌の形式を借りて新境地を開拓し義理人情の世界を表現するようになる」p.239欄外『昭和演歌の歴史』戦後の民放ラジオによるラジオ浪曲ブームを軽視し、敗戦とともに浪曲は終わった、とする立場
^ 「銭形平次」(ラジオ東京 - 文化放送)は異例の長期間にわたる番組であった。脚本は全て国友の自作
^ 1.漫才学校 ABC 57.52.浪曲ごもくめし NJB 44.83.浪曲演芸会 NHK 41.34.お好み演芸会 NHK 40.35.明色歌謡ゲーム ABC 38.96.ラジオ浮世亭 ABC 38.17.アベック歌合戦 NJB 38.18.ラジオ寄席 NHK 38.09.おしゃれクイズ ABC 36.210.三つの歌 NHK 35.711.浪曲名人会 ABC 35.712.五九童のおばあちゃん NJB 35.013.お笑い街録 ABC 34.814.アチャコの自叙伝 34.415.歌の二人三脚 ABC 34.416.お蝶さん NJB 33.317.お好みヒット・メロディ ABC 32.918.浪曲シリーズ NJB 32.519.浪曲トクホンアワー ABC 31.220.のんき裁判 NJB 31.1(55年2月『3社共同調査』より)原典:朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 T本史』p.60 出典:辻一郎『私だけの放送史』p.26。なお52.12.20に朝日放送は新日本放送、電通大阪の3社共同で放送調査委員会を設け、翌年1月21日から1週間にわたって、阪神地区の「ラジオ聴取状況調査」をおこなっている。これは民放ではじめての本格的なマーケット・リサーチであり、調査対象を世帯でなく個人としたのが特色であった。『朝日放送の50年 T本史』p.65
^ 流しであるが、小沢昭一『日本の放浪芸』p.352-354
^ (関西で)「昭和20年代半ば、浪曲は急速に人気を失った」と明記あり。ワッハ上方『上方演芸大全』p.58
^ その間、入門者がいなかった訳ではないが、浪曲界に居続け大成した者はいない。
^ 多くの一門芸脈(鼈甲齋など)の消滅に悪影響は現れている。
^ 多くは大学卒業など他の演芸同様に高学歴化が進む。例として木村勝千代(木村松太郎門下)は10歳で松太郎に入門し、その後専修大学文学部国文科を卒業しており、学業と並行し浪曲師としても活動している[222]
^ 実際に一番弟子の玉川わ太(わだい)、二番弟子の玉川き太(きだい)は落語芸術協会の前座としても所属し、特にわ太は2023年7月17日の浅草演芸ホール夜の部の開口一番で『阿漕ヶ浦』を演じた(曲師は太福も担当する玉川みね子が務めた)。太福のツイートによれば、(落語主体の東京の)定席寄席で浪曲師の前座が開口一番を演じたこと自体が初めてであったという[226]
^ この特徴的な声については、『日本の古典芸能 9 寄席』p.44に中村幸彦による説明がある。
^ 正確には、よく言われるような(理想的な)浪曲師の声としてのシオカラ声・しわがれ声・ダミ声は誤り。
^ 現在の西洋音階が絶対視される状況に於いての「美声」とは違う。
^音声ファイル 32分00秒付近
^ コピー芸という批判的な文脈が未だ使われる。出典:『東京人』380号p.43-46
^ 虎造節は、時の試練を越えて ⇒保存会が結成・活発な活動がなされている
^ BGM 国本p.11
^ 一話を一段と呼ぶ
^ それを逆手に取ったのが、初代京山幸枝若の巧みな芸であった。実際には無いのに「この後続きはレコードで」などがある。出典:国本p.84
^ 「本日のお外題は」という形で演題名を紹介することも多い
^ 読みのみ一定していて、表記に揺れが見られる場合はカタカナで表記するルールに基づく
^ 主に歌舞伎大向う義太夫の慣習からの移行と考えられる。
^ もちろん例外もあり、雲右衛門は入道姿で舞台をこなした例、同様に東武蔵や玉川勝太郎が袈裟姿で高座をこなした例もある。
^ 芝居における引幕、落語における後幕、相撲の化粧回しと同じくファンが浪曲師に送る物があり、寄贈者名が記してある事が多い。
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