うらの ひかる
浦野 光
プロフィール
本名浦野 光[1][2]
性別男性
出身地 日本・神奈川県
生年月日 (1931-09-22) 1931年9月22日
没年月日 (2018-05-02) 2018年5月2日(86歳没)
血液型A型[3]
身長175 cm[4]
職業声優、俳優、ナレーター
活動
活動期間1950年代 - 2008年[要出典]、2018年
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浦野 光(うらの ひかる、1931年9月22日[5][2][4] - 2018年5月2日[6][7])は、日本の声優、俳優、ナレーター。神奈川県出身[5]。 神奈川県小田原市で育ち、父親の仕事の都合で東京府、三重県四日市市と移り住む[8]。 早稲田大学商学部を経て[8][2]、設立されたばかりの中部日本放送放送劇団に応募[8]。一度は落選するが、1953年(昭和28年)春、二期生の募集に再度応募し合格[8][9]。養成期間を経て、ナレーションでデビュー後、3年でラジオ東京放送劇団に移籍[8][2]。吹き替えの仕事を開始した後、フリーとなり[8]、タレントエージェント[10]、シナリオ文芸協会[4]、グループだいこん[11]、セブンセンター[12]、クリエイティブオフィスZなどに所属[1] テレビ草創期からラジオドラマ等で活躍し、洋画の吹き替えではジェームズ・スチュアート、ロバート・ミッチャムを担当[8]。このキャスティングはNETテレビのプロデューサーだった植木明によるもので[8]、特にスチュアートの作品はそのほとんどで声を担当している。『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』に代表されるナレーション担当作品では淡々とした語り口が特徴である一方で、吹き替えを担当した『ポパイ』や『世界の料理ショー』などでは全く対照的なハイテンションで弾けた演技を聴くことが出来、幅広い役柄に持ち味を出している。 1960年代から90年代にかけて、花王提供のワイドショー番組(『モーニングショー(テレビ朝日)』、『アフタヌーンショー(同)』、『3時にあいましょう(TBS)』)で同社の契約タレントとして生コマーシャルを担当していたことでも知られる。 2018年5月2日に86歳で逝去[7]。その訃報は9月に発売された特撮映画のムック本『別冊映画秘宝 特撮秘宝』Vol.8(洋泉社)にて、河崎実(映画監督)が浦野を追悼する一文を寄せたことにより明らかにされた[7]。
来歴
人物、エピソード
浦野の演技論として「非常に不自然で、元の俳優に失礼に値する」とのことから声を変えるということはなく、ごく自然なままの演技を心掛けてきている[8]。