浦和市
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とくに前述の鹿島台エリアである別所沼周辺には、富裕層や官僚以外にも画家の移住や画家のアトリエが目立ったため、同じような理由で移住が増えた鎌倉鎌倉文士という言葉と対になる浦和画家という言葉が生まれた。昭和初期には40人以上の画家が集住し「さながら絵描き村である」と報道された[4]。その後も現在に至るまで、都心から近い閑静な好立地も一因として住宅地の人気を保ち続けている。

浦和区の世帯所得は2013年時点で年収1000万円以上が20パーセント[5]を超えるなど、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}高級住宅地が多い世田谷区渋谷区よりも比率が高く、首都圏でも最高水準を記録している[要出典]。これは購買力の高い官僚、医師、社長などが多く居住することも大きな理由となっている[要出典]。公立高校では全国最多の東京大学合格者を出す年度もあった埼玉県立浦和高等学校が所在するなど、大卒者の多さも所得に影響している[要出典]。高級住宅地として称される地域としては岸町常盤高砂仲町、などとその周辺があげられる[要出典]。
歴史
江戸時代まで


縄文時代 - 大宮台地の縁まで奥東京湾が入り込み、白幡貝塚や大谷場貝塚などが形成された。

神代(開化天皇) - 式内社である調神社が創建されたと伝えられる。

7世紀 - 大久保古墳群土合古墳群が築かれる。

奈良時代 - 本太律令制の政庁がおかれる。址には氷川神社が建立している。

平安時代 - 空海によって玉蔵院が創建される。

1337年(延元2年/建武4年) - 足利尊氏の命で調神社が復興。

1351年(観応2年) - 現在の羽根倉橋付近で観応の擾乱の羽根倉合戦が起こる。

1600年 - この頃中山道が整備される。

1633年(寛永10年) - 鷹場として浦和御殿が置かれ、以後浦和宿として発達する。

1697年(元禄10年) - 大門宿日光御成街道の宿駅となる。

1728年(享保13年) - 見沼代用水が完成する。

1731年(享保16年) - 日本で最初の閘門運河として見沼通船堀が開通する。

明治から第二次大戦まで


1869年(明治2年)1月13日 - 武蔵国のうち浦和宿の属する足立郡などは大宮県となり、県庁は東京府馬喰町に設置される。

1869年(明治2年)9月29日 - 浦和宿に本格的な県庁が設置され、県名が浦和県に変更される。

1871年(明治4年)3月1日 - 市内最古の学校として浦和郷学校が玉蔵院に開校。

1871年(明治4年)11月14日 - 浦和県が忍県岩槻県と合併し、埼玉県となる。県庁は当初岩槻に置かれる予定だったが、暫定的に浦和宿に置かれる。

1872年(明治5年)8月 - 埼玉裁判所が開設される。

1873年(明治6年) - 旧本陣内に改正局(埼玉県師範学校の前身)が開設される。

1874年(明治7年)12月12日 - 調神社境内に浦和公園偕楽園が開園(のちの調公園)。

1874年(明治7年)12月28日 - 岸村を浦和宿に編入。

1876年(明治9年)8月21日 - 埼玉県が入間県と合併して新たに埼玉県となる。12月1日には旧浦和県庁舎を埼玉県庁舎とすることとなった。

1876年(明治9年)1月 - 医学校を岸町に開校。

1878年(明治11年)8月 - 明治天皇鳳翔閣を行在所として宿泊。また、浦和警察署が開設される。

1879年(明治12年)3月 - 北足立郡新座郡役所が仲町に設置される。

1883年(明治16年)7月28日 - 日本鉄道上野?熊谷間が開通。浦和駅が開設される。

1888年(明治21年)3月 - 浦和の大火。警察署・裁判所など浦和宿の半分が焼失。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い浦和宿が北足立郡浦和町となる。同時に後の浦和市域となる地区において木崎、谷田、三室、尾間木、六辻、土合、大久保、美谷本、大門、野田の各村も誕生。

1904年(明治37年)7月 - 初めて電灯が灯る。

1912年(大正元年)11月1日 - 与野駅開業。

1914年(大正3年)1月 - 浦和簡易図書館が開館。

1918年(大正7年)11月 - 武州銀行が発足。

1921年(大正10年)8月 - 浦和から大門・志木への乗合バスが運行される。

1921年(大正10年)10月 - 旧制浦和高校が開校。

1922年(大正11年)10月1日 - 埼玉県教育会立埼玉図書館(のちの埼玉県立浦和図書館)が開館。

1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災発生。倒壊建物は出たが、被害は軽微。浦和町の死者は3人[6]。以後浦和画家などの移住が加速。

1928年(昭和3年)12月 - 武州鉄道武州大門駅 - 岩槻駅間が開業。

1932年(昭和7年) 4月1日- 木崎村(北袋以外)・谷田村が浦和町に編入される。木崎村北袋のみ大宮町に編入される。

1932年(昭和7年)9月1日 - 東北本線赤羽駅 - 大宮駅間の電化が完成。現在の京浜東北線

1933年(昭和8年) - 新国道(国道17号)志村 - 大宮間が開通。

1934年(昭和9年) 2月11日 - 市制施行により浦和市となる(県内では川越市熊谷市川口市に次ぐ4番目、全都道府県庁所在地で最も遅い市制施行)。

1936年(昭和11年)9月 - 北浦和駅開業。

1938年(昭和13年)7月1日 - 六辻村が町制施行、六辻町となる。

1940年(昭和15年)1月 - 浦和 - 所沢間に直通バスが運行。

1940年(昭和15年)4月17日 - 尾間木村三室村が浦和市に編入される。

1941年(昭和16年) - 浦和連隊区が置かれる。

1942年(昭和17年)4月1日 - 六辻町が浦和市に編入される。

1943年(昭和18年)4月1日 - 美谷本村笹目村と合併し、美笹村となる。

1943年(昭和18年)7月 - 埼玉銀行(現・埼玉りそな銀行)が本店を置く。

1945年(昭和20年)

4月から5月 - 県庁周辺と旧制浦高周辺で2回空襲があり、計17人の死者、740人の罹災者を出す(事前に空襲ビラがまかれた)。

6月 - 第36軍が拠点を置く。


戦後

後から岩槻市も2005年10月2日にさいたま市と合併する。

1946年(昭和21年)3月 - 埼玉会館別館に進駐軍である埼玉軍政部が置かれる。

1949年(昭和24年)5月 - 旧制浦和高校、埼玉師範学校、埼玉青年師範学校を統合し埼玉大学が発足(現市役所と現北浦和公園の2キャンパス)。

1955年(昭和30年)1月1日 - 土合村大久保村が浦和市に編入される。

1956年(昭和31年)4月1日 - 大門村野田村戸塚村が合併し、美園村となる。

1957年(昭和32年)7月1日 - 美笹村が戸田町に編入される。

1959年(昭和34年)4月1日 - 戸田町のうち旧美谷本村北部、すなわち松本新田・曲本・内谷および堤外の一部が分離され、浦和市に編入される。

1961年(昭和36年)7月 - 南浦和駅開設。

1962年(昭和37年)5月1日 - 美園村のうち、差間・行衛を除く旧大門村・旧野田村の区域が浦和市に編入される(残りは川口市に編入)。

1964年(昭和39年) - 2つのキャンパスに分かれていた埼玉大学が大字下大久保に移転(1969年までに)。

1973年(昭和48年)4月 - 武蔵野線開通、東浦和駅西浦和駅開業。

1976年(昭和51年) - 浦和市役所が現在地に完全移転。

1980年(昭和55年)3月26日 - 東北自動車道浦和IC - 岩槻IC間が開通。

1981年(昭和56年)4月 - 市内最初の再開発である浦和駅西口駅前の浦和コルソ伊勢丹浦和店が開業。

1985年(昭和60年)8月 - 浦和市文化センターがオープン。

1985年(昭和60年)9月 - 埼京線開通、武蔵浦和駅中浦和駅開業。

1988年(昭和63年)5月 - 浦和市青少年宇宙科学館開館。

1992年(平成4年) - サッカーJリーグ浦和レッドダイヤモンズのホームタウンとなる。

1995年(平成7年)10月1日 - 第16回国勢調査。この時点で浦和市の人口は川口市を抜き、埼玉県内で第1位となる。

2001年(平成13年)

3月28日 - 埼玉高速鉄道線開通。浦和美園駅開業。

5月1日 - 大宮市与野市と合併し、さいたま市の一部となる。

10月13日 - 埼玉スタジアム2002こけら落とし。

11月20日 - みそのウイングシティの整備が着工。


2002年(平成14年)6月 - サッカーワールドカップの開催地となる。

2003年(平成15年)4月1日 -さいたま市が政令指定都市に移行。旧浦和市の区域は大原六丁目・七丁目(大宮区)、上木崎一丁目8番30号および35号(中央区、現・中央区新都心3番地1)を除き桜区浦和区南区緑区となる。

2004年(平成16年) - 旧浦和市域の人口が50万人を突破。

2015年(平成27年) - 旧浦和市域の人口が55万人を突破。

人口

1995年川口市の人口を上回って以来、県内で最大人口を有していた。また、旧市域にほぼ相当する桜区・浦和区・南区・緑区の2023年2月時点での人口の合計は約59.1万人に増えており、鳩ヶ谷市を編入後の川口市の人口も上回るに至っている。

1934年(昭和9年)2月11日 - 4万3078人[7](市制施行日)

1935年(昭和10年)10月1日 - 4万4328人(大宮町を抜き県内2位に)

1940年(昭和15年)10月1日 - 5万9671人


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