1990年代初頭に女優業は実質引退した[9]。浜本人は、女優人生は本意でなく、世界各国を見聞して環境などをテーマにするコメンテーターになりたかったという[9]。映像民俗学者の姫田忠義に師事し、女優引退後は環境・農・食問題について研究するライフコーディネーターとしても活躍している[9]ほか、エッセイ集も数十冊出している。
その後、ラジオ番組『浜美枝のいつかあなたと』(文化放送)のパーソナリティを務めているほか、国土庁・農林水産省食アメニティを考える会会長をはじめ、農政ジャーナリストとして各種委員会のメンバーを務めている。2010年には、近畿大学が新設した「総合社会学部」の客員教授に就いた。
人物
柳家小三治の大ファン。前売券を買うために自ら行列に並び、電話もかける[17]。
『007』や『キングコング対ゴジラ』で共演した若林映子とはプライベートでも仲が良く、食事を共にすることも多かったほか、若林が浜の家に泊まることもあったという[18]。
『キングコング対ゴジラ』で共演した佐原健二は、浜について「バーンとぶつかってくる方」と評しており、感情的な演技で勢いよく来るため、佐原はただ受け止めるだけになり、リードされている感覚であったと述懐している[19]。
東宝で助監督を務めた谷清次は、浜はプールで水着になるシーンの撮影を嫌がっていたこともあったと証言している[20]。
主な出演
映画『キングコング対ゴジラ』(1962年)『暗黒街全滅作戦』(1965年)
若い素肌(1960年)
新・三等重役 亭主教育の巻(1960年) - 藤沢洋子
暗黒街の弾痕(1961年)
福の神 サザエさん一家(1961年)
社長道中記(1961年)
B・G物語 二十才の設計(1961年)
ゲンと不動明王(1961年)
キングコング対ゴジラ(1962年) - 桜井ふみ子[3][4]
忠臣蔵 花の巻・雪の巻(1962年)
にっぽん実話時代(1963年)
五十万人の遺産(1963年)
若い仲間たち うちら祇園の舞妓はん(1963年)
日本一シリーズ
日本一の色男(1963年)
日本一のホラ吹き男(1964年)
日本一のゴマすり男(1965年)
日本一のゴリガン男 (1966年)
日本一の裏切り男(1968年)
日本一のワルノリ男(1970年)
青島要塞爆撃命令(1963年) - 揚白麗[3]
クレージー作戦シリーズ
クレージー作戦 くたばれ!無責任(1963年)
無責任遊侠伝(1964年)
クレージー黄金作戦(1967年)
クレージーの怪盗ジバコ(1967年)
クレージーメキシコ大作戦(1968年)
大盗賊(1963年) - 弥々姫[3]
乱れる(1964年)
世界詐欺物語 日本篇(1964年)
君も出世ができる(1964年)
クレージー映画(時代劇)
ホラ吹き太閤記(1964年)
クレージーの無責任清水港(1966年)
西の王将東の大将(1964年)
続西の王将・東の大将(1965年)
万事お金(1964年)
国際秘密警察シリーズ
国際秘密警察 鍵の鍵(1965年)
どうしたの、タイガー・リリー?(日本未公開作品)(1966年)
100発100中(1965年)
暗黒街全滅作戦(1965年)
奇巌城の冒険 (1966年) - クレーヤー[3]
じゃじゃ馬ならし (1966年)
若い娘がいっぱい (1966年)
怒涛一万浬 (1966年)
てなもんや東海道 (1966年)
女は幾万ありとても (1966年)
007は二度死ぬ(1967年) - キッシー鈴木(Kissy Suzuki)[注釈 2]
キングコングの逆襲(1967年) - マダム・ピラニア[3][4]
乱れ雲(1967年)
坊っちゃん社員
坊っちゃん社員 青春でつッ走れ!(1967年)
坊っちゃん社員 青春は俺のものだ!(1967年)
昭和のいのち(1968年 日活)
砂の香り(1969年)
嵐の勇者たち(1969年 日活)
喜劇 負けてたまるか!(1970年)
捨て身のならず者(1970年 東映)
ひらヒラ社員 夕日くん(1970年)
3000キロの罠(1971年)
がんばれ!若大将(1975年)
キッチン(1989年)
テレビドラマ
太陽のあいつ(1967年、TBS)
かけだし天使(1968年、TBS) - 看護婦
下町の空(1968年、TBS)
立ち入り禁止・恋と恋(1969年、日本テレビ)
まだ見ぬアナタ(1969年、フジテレビ)
フルーツシリーズ第6弾 「レモンスカッシュ4対4」 第1話、第3話、第4話、第7話(1969年10月2日 - 11月20日、NET) - 田村みつる