浜松市
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862年 - 浜名湖の出口にあたる浜名川に浜名橋が架けられ歌枕にもなる[38]

中世三方ヶ原の戦い
鎌倉時代から室町時代まで


1156年 - 保元の乱で遠江国の武士が参加する。

1277年 - 十六夜日記の作者、阿仏尼が遠江国に泊まる。

1498年 - 地震による津波で浜名湖に今切口ができ、遠州灘につながる。

戦国時代


1551年 - 日吉丸(後の豊臣秀吉)が頭陀寺城主松下之綱に仕える。

1570年 - 徳川家康浜松城に入る。

1572年 - 武田信玄が遠江国に侵入し、三方ヶ原の戦いで家康の軍を破る。

1579年 - 浜松城が修築される。

1586年 - 徳川家康が浜松城から駿府城に移る。

1590年 - 堀尾吉晴が浜松城に入る。

近世
江戸時代


1601年 - 堀尾吉晴が浜松城から松江城に移る。

1601年 - 徳川家康の家臣伊奈忠次須倍神社に社領七石を黒印を以て寄進する。

1603年 - 浜松藩城下町東海道宿場町となる。

1604年 - 東海道一里塚が置かれる。

1648年 - 徳川家光が都田須倍神社へ家康寄進の社領を朱印に改めて寄進

1657年 - 馬込川の土橋が板橋に改められる。

1703年 - 浜松町奉行が浜松宿勢を調査する。総戸数1,386戸、人口4,336人。

1707年 - 東海地震宝永地震)があり、今切渡船による交通が途絶えた。

1817年 - 水野忠邦が浜松藩主となる。

1846年 - 浜松藩校克明館が建てられる。

1854年 - 東海地震(安政の大地震)により被災。

近代
明治時代
浜松市及び後に浜松市の区域に含まれる市町村の区域の位置。市町村の区域は浜松市および2005年の合併直前に存在していた市町村への合併直前のもの。
下赤:町村制施行時の浜松町 付近の濃い緑色は部分的な編入。
下赤・下緑・深緑:2005年に編入する前の浜松市(1.天神町村 2.富塚村 3.曳馬町 4.白脇村 5.蒲村 6.新津村 7.五島村 8.河輪村 9.長上村 10.和田村 11.笠井町 12.中ノ町村 13.芳川村 14.飯田村 15.吉野村 16.三方原村 17.神久呂村 18.都田村 19.入野村 20.積志村 21.湖東村 22.篠原村 23.庄内村 24.浅場村→可美村) 
赤紫:雄踏町 
下水色:舞阪町 
上赤:浜北市(31.北浜村 32.浜名町 33.中瀬村 34.赤佐村 35.麁玉村)
黄:細江町(41.気賀町 42.中川村)
橙:三ケ日町(43.三ヶ日町 44.東浜名村)
中緑:引佐町(45.引佐町 46.奥山村 47.伊平村 48.鎮玉村)
中水色:天竜市(51.二俣町 52.下阿多古村 53.上阿多古村 54.熊村 55.竜川村 56.光明村)
紫:龍山村
青:佐久間町(57.浦川町 58.佐久間村 59.山香村 60.城西村)
桃色:春野町(61.犬居町 62.熊切村 63.気田村)
上緑:水窪町山葉楽器製造所製作 オルガンウィキソースに市制施行に係る内務省告示の原文があります。初代の浜松市章
1911年7月1日制定浜松市街

1869年 - 浜松奉行所が開設される。

1871年12月 - 廃藩置県により、浜松県の県庁所在地となった。

1872年 - 浜松県裁判所が設置される。

1873年 - 第一番小学校(現在の元城小学校)が開校する。

1873年 - 浜松城が廃城になる。

1876年8月21日 - 浜松県が廃止され、静岡県に編入する。支庁が置かれる。

1882年 - 浜松に測候所が開設する。

1887年 - 日本楽器製造(現在のヤマハ)の創立者、山葉寅楠が初めてオルガンを製造する。

1889年2月1日 - 東海道本線浜松駅開業。

1889年4月1日 - 町村制の施行により、敷知郡浜松町が発足する(当時の人口13,630人)。

1894年 - 浜松中学校開校(のち旧制浜松一中、現在の静岡県立浜松北高等学校)。

1896年 - 郡制の施行により、浜名郡、長上郡の区域の大部分、敷知郡の区域の大部分及び豊田郡の区域の一部をもって、浜名郡が発足により、浜名郡浜松町となる。

1900年 - 日本楽器製造でピアノの製造を開始する。

1901年 - 浜松高等女学校開校。

1904年 - 浜名郡白脇村の区域の一部を編入する。

1906年 - 静岡工業試験場浜松分場が設立された。

1907年 - 歩兵第六十七連隊が浜松に設置される。

1908年 - 浜名郡浅場村の区域の一部を編入する。

1908年 - 電話が開通する。

1909年 - 浜松・二俣(旧天竜市、現天竜区二俣町)間に軽便鉄道が開通する。

1909年 - 鉄道院(旧国鉄)工場誘致の運動が起こる。

1909年 - 鈴木道雄、静岡県浜名郡天神町村で鈴木式織機製作所(現在のスズキ)を創業。

1910年 - 浜松ガス会社が設立された。

1911年7月1日 - 市制施行して、浜松市となる(当時の人口36,782人)。同時に初代の市章を制定する。

大正時代


1912年 - 浜名郡富塚村の区域の一部を編入する。

1912年 - 鉄道院浜松工場(現東海旅客鉄道浜松工場)操業開始。

1914年 - 浜松?金指[注釈 16]間に軽便鉄道が開通する。

1915年 - 浜松師範学校、浜松工業学校が開校する。

1915年 - 浜松市立病院が開院する。

1916年 - 浜名郡曳馬村の区域の一部及び天神町村の区域の一部を編入する。

1918年 - 米価などの高騰により、浜松で米騒動が起こる。

1920年 - 遠州地方の織物業が不況により、2ヶ月の総休業を行う。

1920年 - 市立図書館が紺屋町97番地に開館する。

1921年 - 浜名郡天神町村を編入する。森?外(森林太郎)作詞・本居長世作曲の浜松市歌が発表される(2005年廃止)。

1925年 - 歩兵第六十七連隊が廃止される。

昭和時代(戦前)


1926年 - 陸軍飛行第七連隊(現航空自衛隊浜松基地)が置かれる。軍需産業が盛んになる。

1926年 - 日本楽器製造でストライキが起きる。

1926年 - 市会議員の選挙が行われる(日本初の男子普通選挙実施)。

1926年 - 松城幼稚園が開園。

1928年 - 高射砲第一連隊が浜松に設置される。
1930年代の広小路通

1930年 - 昭和天皇行幸が行われる。


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